2002 1

今月の1枚
ケイト・ブッシュ/Never For Ever(1980)
ケイト・ブッシュは既にして19歳の時の1st『The Kick Inside』から完成していたが、おそらくたまっていたストックで同じ1978年のうちに『Lionheart』を続けざまに出し、2年おいてこの3rdにして最高傑作『Never For Ever』を放つ。最初の2枚はアンドリュー・パウエルのプロデュースだったが、人にプロデュースを任せるとかゆいところにまで手が届かず細部にいろいろ不満が残るせいか、この『Never For Ever』からは自らプロデュースも手がけるようになった。それを以てしてもこれが真の自覚的な出発点といえるかもしれない。ピアノの弾き歌いが基本、というスタイルや10代からのセンセーショナルなデビュー、天才肌、ついでに声がカン高いことなども合わせると、つい日本の矢野顕子と比較したくなってしまうが、この二人を一挙にまとめて語るのはあまりにもったいないという人には説明しがたい謎めいた理由によって、ここではこの比較はこれ以上行わないことにするが一点だけ触れるなら、『ジャパニーズ・ガール』といい『The Kick Inside』といい、真の天才は徐々に開花するのではなく一挙に最高の水準で唐突に立ち現れるのだという事実をこの二人ほど見事に実証している例もそうはあるまいということだ。そして最初がピークなのではなくその後更にその上を行く、という点も忘れてはならない。そういえばケイト・ブッシュは元々医者の家系で、最初は自分も精神科医になるつもりで途中で音楽に転向したというが、彼女自身の発言からすると、自分は精神科医になる代わりにソングライターになって人々にメッセージを届けることで、結果的に一種のカウンセリング的な役割を担えるようになってよかった、ということだが、「音楽はメッセージを運ぶもの」という考え方を僕自身共有しないので、これに関しては異論がある。とはいえ、実際はケイト・ブッシュの音楽は「メッセージを運ぶ容器」のレベルにはないわけで、おそらく彼女自身意識のレベルではメッセージが重要で、自分の音楽の質に関しては無自覚なのだろう。その無意識なところがまた天才肌なのだが。この『Never For Ever』は、音楽のスタイル自体は前の2枚から大きく変わったわけではないけれど、アレンジの見事さも相俟って、余計な枝葉が削ぎ落とされ一つの明確なトータルなイメージ(それを仮にゴシック調の寓話世界とでも呼んでおこう)に収斂している点がすばらしいのだ。むしろ変化はこの次の『The Dreaming』(1982 )で訪れる。たしかにこれは「問題作」ではあるだろう。いつになく落ち着きのない不穏な空気が全体を覆い、彼女が精神病院に入ったという噂が流れたほど(実話という説もあるが)のものだが、音楽的には電化サウンドが大幅に導入され、それと同時に民族楽器などのエスニックな要素も増した。このエスニックな方向は以後も継続することになる。ただ、『Never For Ever』ほどのイマジネーションの収斂度の強さをこれが持っているかどうかは疑問で、むしろいろいろ取り込みすぎた結果いささか焦点がぼやけてしまったのではないか。その反省かどうか、次の『Hounds of Love』以後は再び嵐は凪ぎ、ますます寡作になりながら現在に至っている。今のところのフルアルバム最新作は既に9年前の『The Red Shoes』で、現在は子育ての方に気が行ってしまっているようだ。ケイト・ブッシュのようなタイプにコンスタントな活動を期待しても詮ないが、いずれまた気が向いた時に新作作りに戻ってきてくれることを願う。
(Kate Bush/Never For Ever CDP 7 46360 2)

今月の展覧会
ベルナール・フォーコン(〜3月16日、高円寺、イル・テンポ)
このところ写真ばかり取り上げているような気がするが、たまたまです。それはともかく、東京近辺でのフォーコンの個展は久しぶりのはずだから今回のこれはともかく嬉しい。フォーコンといえばまずもって人形写真ということになるが、彼は1974年にマネキン人形と出会い、それをカメラに収めることでキャリアをスタートさせた。とはいえ、マネキンというものそれ自体が彼の関心事だったわけではない。本人の語るところによると、実は、逆説的ながら彼の関心は生身の人間以外にはないのだが、写真に撮るのが不可能なものもまた生身の人間である。かつて写真が発明された頃、写真に撮られると魂が奪われる、と恐れられたという話があるけれど、フォーコン自身も、印画紙上に固定し、焼き付けた人間は命を奪われたような存在であると感じているらしい。逆に、命のないものに命を吹き込むことができるのが写真だ、という認識がフォーコンを人形写真に向かわせた。要するに、写真に撮られた人形は本物の人間以上に「人間」という存在を開示する、というのが彼の基本哲学なのだ。たしかに、彼の写真におけるマネキンの扱いを見てみると、ポーズや仕草はあたかも本物のモデルがポーズを取っているかのように入念に演出されており、ごく自然に見える。それが人間ではない、という一点を除けばの話だが。マネキンであることで、人間がモデルであれば誰であっても必ず滲み出てしまうであろう個人特有の表情を奪い去ることができる。その点、同じ人形写真といっても例えばローリー・シモンズとはその姿勢は大きく異なっているといえるだろう。シモンズの写真における人形は、もっとあからさまにチープで、それは人間の暗喩というよりはおままごとの世界の中のおもちゃの住人に近い存在だ。いわばそれは人間のフェイクなのだが、フォーコンの人形にはフェイクという概念はない。あるいはまた、人形写真の大御所ハンス・ベルメールとも違う。ベルメールの人形は、何よりもまず質量を付与された「肉」の存在そのものであり、その肉の表面に病の斑点がついたり赤らんだりする様をベルメールは何よりも見たいわけで、その肉が所属するところの人間には彼は関心はあるまい。その姿勢はむしろ町野変丸に近い。ところで、今回の展覧会を見てもわかるように、フォーコンは人形写真ばかりを撮っているわけではない。「黄金の部屋」と題された文字通り全体が金ぴかの部屋のシリーズもあれば、人はおろか人形もいない空虚な空間を見据えた写真もある。これまで見る限りでは、人形写真が撮られたのは70年代で一旦終わっており、その後はこうした無人の空間の写真へと移行したようだが、それらについて語るのはもう少し量を見てからにしたいところ。

今月の2本
(1)落穂拾い(2000フランス、アニェス・ヴァルダ監督)
リヴェットの『恋ごころ』といいヴァルダのこれといい、現在公開されているヌーヴェルヴァーグのベテラン勢の新作はどちらも予想を上回るすばらしさで、全くレベルダウンしていないのは頼もしい限り。リヴェットについてもあれこれ語りたいところを抑え、今はヴァルダに話を絞らねばならない。アニェス・ヴァルダは世界の女性映画監督の先駆けのような存在であると同時に、1954年に最初の長編を取り、数年後に火がつくヌーヴェルヴァーグの先鞭をつけた存在でもある。だが、シネフィル揃いの他のヌーヴェルヴァーグの作家と比べて異色なのは、最初の映画を撮った段階でまだ映画をあまり見ていなかったということだ。過去の映画に突き動かされて、というよりも現実への関心に背中を押されて映画を撮り始めた、というタイプなのではなかったか。それは彼女が当時写真家として活動していたということとも関係があるだろう。彼女の作品には対象をよく観察する、という姿勢が基本にあって、その持ち前の旺盛な好奇心がどのように発揮されるか、ということのよく見えるいい見本がこの『落穂拾い』だともいえる。この作品は一応、ものを拾って暮らしている人々のドキュメンタリーということになるのだろうが、正しいドキュメンタリーなどというものに興味のないヴァルダは、現実も自分の空想も区別することなく映画の中にぽんぽん投げ込んでゆく。車の中から、先を走る車を手で輪っかを作って「掴」み、カメラのレンズの蓋を揺すって踊る。そこに見られる精神の自由さはほとんど感動的だが、一見テーマに関係がないかのようなそうした逸脱の数々は、実は彼女自身が誰よりも精神の「拾い屋」であったのだと思い至ると全くこの映画の中で無駄なものなどではないということが了解できるだろう。この映画に登場する様々な「拾う人々」へのヴァルダの眼差しは、そうして当然のように共感と慈愛に満ちたものとなる。ところで、映画を撮る過程で作り手になってゆく、と語るヴァルダの言葉は真実だろう。予めシナリオやコンテで内容を決めてから撮影に臨むのではなく、現場で目に入ったものを次々に「拾」い上げてゆくというアプローチ。もちろん劇映画の場合は、ドキュメンタリーほどはそうした要素の入る余地はなくなるのだろうが、他にも彼女がこれまでに撮ってきたジェーン・バーキンや夫ジャック・ドゥミのドキュメンタリーものを思い出すと、大体このようなアプローチになっていたはずだ。それにしても、この『落穂拾い』ほどヴァルダ本人の影が映画に投影された作品も珍しい。この映画に何かしら打たれるとそれば、それはヴァルダの世界を見つめる眼差しそれ自体の自由さ、遊び心、そして純粋さ、崇高さから来るのだ。神保町・岩波ホールにて上映中。
(2)都市とモードのヴィデオノート(1989ドイツ・フランス、ヴィム・ヴェンダース監督)
ヴェンダースは時々思い出したようにドキュメンタリーを撮っているが、ファッション・デザイナーの山本耀司のドキュメンタリーであるこの『都市とモードのヴィデオノート』においては、実はもう一人の影の主役が存在しているといえる。それは人間ではない、東京という都市そのものである。映画の舞台は山本耀司の活動の場として東京とパリを行ったり来たりして、その間に語り、あるいは仕事を進める山本耀司の映像が差し挟まれるのだが、ヴェンダースの眼差しはこの二つの都市に対等に注がれているというよりはだいぶ東京寄りだといえよう。この映画を山本耀司その人への関心で見ることも可能だが(というかそれが本来だろうが)、むしろ全く別の観点から見た時にも非常に刺激的なフィルムとなっている。ヴェンダース映画には初期からテレビモニターが頻出していたことは周知の事実で、それがかつてのヴェンダースであればジュークボックスやカーラジオと並んで音楽を映画に導入する理由づけになっていたわけだが、こうした、スクリーンの中に更に別のモニター画面を導入する方向はこの作品で極限にまで拡張された。スクリーンの中には、例えばファッション・ショーの画面と同時に、カメラに向かって語り続けるヴィデオ・モニターの中の山本耀司、首都高を走る車の中からの移りゆく風景のヴィデオ画面などが同時に提示されたりもするが、重要なのは、その提示のされ方が分割画面でもオーヴァーラップでもなく、小型モニターを持った手ごと映される、という手法に拠っていることである。かつて『ニックス・ムーヴィー/水上の稲妻』の中にヴィデオを導入した時は、老いさらばえたニコラス・レイを捉えたヴィデオ画面は丸ごとヴィデオ画面としてスクリーンを占拠していたものだが、ヴィデオ・モニターを持つ手、の導入によって、全くアナログなやり方で複数の画面の同時並置が可能になり、しかもその手の主体(=ヴェンダース自身)が東京という都市にこうしていることの存在論的問いが常に映画全体に投げかけられ続けるという状況が出来した。より正確に言うと、手そのものが問題というよりは、ヴィデオ画面をその撮っている状況ごと見せながら一旦フィルムで直に撮ってスクリーンに再び返すという手法が秀逸なのだ。複数の画面の同時並置という分裂的な手管はまた、ヴィデオこそが東京という都市を正確に捉えることのできるメディアだったということに気づいたヴェンダースが選んだ、「東京」に最も肉迫するためのあり得べき最も正しいアプローチでもあった。パリのシーンにはこの手法は全く使われていないということを想起しておくのは意味がある。かつてはヴィデオへの嫌悪を隠さなかったヴェンダースはこうしてこの作品でヴィデオへの考え方を根本的に再検討し直し、その後のハイビジョン他のデジタル映像の導入へと舵を切ってゆくことになる。




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