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1997
ジェームズ・ディロン/Uberschreiten(1986)
国外生活の長いブライアン・ファーニホウがむしろイギリス国外で高く評価されているのに対して、ディロンはイギリス作曲界の「新しい複雑性」の重要な存在として認知されている。だが、ディロンの複雑性はファーニホウのそれとはだいぶ焦点の在処が異なっているといえるだろう。ファーニホウの場合はテクスチュアも複雑だがその推移もまためまぐるしいので、ある時間幅を持った部分が一つの大きなまとまりとして知覚されにくいが、ディロンの方はといえば複雑なテクスチュアがもう少しはまとまりのある全体として捉えられる。そして時に聞き手の知覚の限界域にまで達しそうになるそのテクスチュア自体の複雑さが聞き手を包み込む時、例の崇高のメカニズムが稼働するのだ。この音楽の在り方は誰かに似ている。そう、それはクセナキスに他ならない。クセナキスの方はもっと響きが塊状になっているので、響きの上では両者は似ても似つかないのだが、実はディロンはファーニホウよりもはるかにクセナキスに近い作曲家だといえよう。この「Uberschreiten」の出だしなどは、まるで響きの点でもクセナキスの「ポリトープ」かと思ってしまう。こういうタイプの作曲の場合、音響が多様で聞き手を包み込めるぐらいボリュームもある方がより好ましい、という訳で、ディロンもクセナキスもオーケストラ作品においてこそ最もその真価を発揮するのは偶然ではない。ディロンのオーケストラを扱う技術はずば抜けてうまい、うますぎる。通常こういう作曲家が室内楽を書く時には、オーケストラの音響の多様性を少人数に投影しようとするので、特殊奏法を含め一人当たりの演奏パートは極度に難しいものとなるが、ディロンは室内楽においてはそういうことをあまりやっていないように思えるのはなぜだろう。
(編集注:タイトル"Uber〜"の"U"にはドイツ語のウムラウト「¨」が付きますが、インターネットの日本語環境では付加することが出来ません。ご了承ください。)
ジャン・リュック・ゴダール/ヌーヴェルヴァーグ(1997)
おや、「今月の1本」の欄と間違えてるんじゃないの?と思ったあなた、これでいいのです。ジャン・リュック・ゴダールの映画「ヌーヴェルヴァーグ」は1990年のものだが、これはそのサウンド・トラック盤なのであった。基本的には僕はサントラ盤というものに興味がないが、その理由は「映画音楽」という固有のジャンルを信じていない、ということに尽きる。このことについては以前にもある所に書いたことがあるのだが、かいつまんで言うと、どんな音楽も映画の中で使われれば「映画音楽」になるのであり、「ボサノヴァ」や「演歌」や「ラップ」のようには記述しうる音楽それ自体の特徴はない、ということだ。従って、映画の中で音響/音楽がどのように用いられているかには常に非常に興味があるけれども、ひとたび映画から切り離された瞬間にそれは全く別の関心の対象になってしまう。ところが、である。この「ヌーヴェルヴァーグ」のサントラは今までのサントラの常識を全く変えてしまった。通常のサントラでは、映画の中で使われた曲が編集されて組曲のように並べられるのだが、この「ヌーヴェルヴァーグ」の場合、元の1時間半の映画のすべての音をそっくりそのまま丸ごとCD化しているのである。これを、何だ、映画から映像だけ抜いたものか、とただの手抜きのサントラのように思ってしまうとしたら、あなたはゴダールのson/imageの在りようを、その恐怖の真価を知らない人なのだろう。ゴダール作品でなくとも、トーキー以後の優れた映画なら、音だけ聞いてみても必ずそこに独立した完璧な音響構造物があることが分かるはずだ。昔、小津安二郎やトリュフォーの映画の音だけをカセットに録ってよく聞いていたことがあったが、それは全く飽きることのない充実し切った時間体験だった。ましてやゴダールほど音を映像に従属する要素としてではなく、映像に対等に対置させる作家はいない。「パッション」(1982)以降職業作曲家へ作曲を依頼するのをやめて自ら音楽/音響の編集(といってももう殆ど創作と言ってよい)へと乗り出したゴダールの映画を見る時、すべての音が「これしかない」という動かしようのない位置にjustに決められていることに驚くしかない。
(NOUVELLE VAGUE/JEAN-LUC GODARD - ECM 1600/01)
フランコ・ドナトーニ(4月2日、イタリア文化会館)
かつては殆ど知られていなかったドナトーニの音楽が少しずつ日本でも聞けるようになってきたのはここ10年くらいのことだろうか。そして今年、おそらく日本では初めてであろうドナトーニの個展が開かれ、更に作曲者本人も来日してしまうというのだから、これはもう聞き逃す手はない。本当は来月の公演なのだが、初頭なので今月取り上げる。今回のプログラムは1961年の"Doubles"から1990年の"Het"までの7曲で、60年代から90年代までのドナトーニの変遷を鳥瞰できるものになっている。70年代半ば以前の彼の音楽は、基本的にはヨーロッパ前衛音楽の枠内にあってかなり錯綜した複雑なテクスチュアを持っていたが、ある時期からもっとクリアで柔らかい響きの音楽を書くようになった。時としてポップとも言い得るような。しかしその予兆は既にあった。例えば1967年の"Souvenir"は、複雑に変化する生硬なテクスチュアの果てに、最後はいきなり三和音で終わる。70年代半ば以降のドナトーニは、言ってみれば聞き手の聴取の焦点が音楽を聴き進んでいく中でどこに当てられるのか、そのコントロールの術に熟達してきた、といえるのではないか。例えばある要素が複雑に錯綜している時は別の要素はシンプルに押さえ、情報量が多すぎて聞き手の耳がパンクしないように、必ず耳の逃れてゆく水路を空けておいてやる。その辺のコントロールはまさに名人芸といってよい。もう一つ、彼の音楽で初期から一貫して言えることは、オートマティックなものへの嗜好だろう。もちろん随所で直感的な補正・潤色が加えられているとはいえ、例えば昔のブーレーズやシュトックハウゼンの音楽でも、システマティックではあってもオートマティックではなかった。ドナトーニのその嗜好は、時として作者の主体を放棄しかねないかのように見えるほど強いものだが、そういう危ない瞬間ほどスリリングかつマゾヒスティックに響く。
ピーター・ハリー(〜3月28日、水天宮前・小山登美夫ギャラリー)
80年代中期にニュー・ペインティングの後に来るものとして美術ジャーナリズムの中で脚光を浴びたいわゆる「ネオジオ」の代表選手と見られていたのがこのピーター・ハリーだが、未だにまとめて見る機会はそう多くはない。「ネオジオ」という名称自体はやがて「シミュレーショニズム」という呼称の中に吸収されてしまったようだし、まあ、ジャーナリスティックに取り沙汰される呼び名など別にどうでもいいといえばその通りではある。かつて見たハリーの作品は、割と大きめのキャンバスに記号化された配電図のような形象がくっきりと色分けされて描かれている、といったもので、その幾何学的な平面の分割形態が、「新しい具象」の後の「新しい抽象」としてのネオジオのスタイルを典型的に表すものであったことは分かるし、だからこそハリーがこの路線の象徴的作家になったのもうなずける。とは言うものの、いくら80年代の新しさを装った具象に飽き足らないからといって、ポスト・ペインタリー・アブストラクションそのものに回帰してしまってはさすがに非難を免れないと判断してかどうか、社会システムとか電子ネットワークとかの「具体的」な参照物を持ってきて「単なる抽象ではない、シミュレーションだ」とやることになる。しかし、何も予備知識なしに見た場合、はたしてその元の参照物がどれだけ意味を持つか微妙なところではある。ちょっと形態が四角四面のハード・エッジ、あるいはカラー・フィールド・ペインティングとして見るなと言う方が難しいのでは。その意味では、誰でもそれと分かる木目を描いたシェリー・レヴィーンあたりの「抽象画」の方がシミュレーション度は高い。うーむ、この展覧会を見ながらもう一度よく考えて見よっと。
泥の中を泳げ(1990フィリピン、リノ・ブロッカ監督)
フィリピン映画の重要な2人の作家、リノ・ブロッカとキドラット・タヒミックが同級生であったという事実は興味深いが、2人のスタイルが180°正反対だというのもまた感慨深い。実験的な個人映画を突きつめてゆくタヒミックに対して、ブロッカは資本主義の原理に忠実にエンターテインメントとしてのメロドラマを量産していった。その意味ではドイツのファスビンダーや日本のマキノ正博の在り方に近い作家だったといえよう。今更にして1991年の交通事故死が悔やまれる。そして、ブロッカの映画はどれを見ても滅茶苦茶に面白いが、その面白さは後年のスピルバーグやツイ・ハークのようにSFXを駆使した画像そのものの「美」化へと向かうことなく、あくまで入念な演出と編集の創意工夫の賜物としての物語の中に我々が否応なく引きずり込まれてゆく快感に通じている。ブロッカの残した67本の映画のうち、僕が見ることができたものは未だ10本にも満たないが、それこそ彼の取り上げる題材は様々で、アイドルものあり、オカルトあり、政治ものあり、家族ものありと、手当たり次第といった感じ。シナリオはどれも波乱に満ち、人間同士の対立は感情の昂揚と共に極限にまで達する。また、ブロッカ自身が意図したかどうかはともかく、映画の随所にフィリピンの身分制度や政治の実状が反映されているのも興味深い。この「泥の中を泳げ」で重要な役割を担う悪辣な政治家夫人のキャラクターは、他のブロッカ映画でもときどき現れるが、このモデルはほぼ間違いなくイメルダ・マルコス元大統領夫人だろうと言われている。
ビリーの森ジョディの樹(1995、三原順)
1995年に世を去った三原順の未完に終わった遺作。周囲の人々が協力して未完のままで出版したのだが、初めの方は完成された形なのが、終わりに近づくにつれて徐々にところどころ描きかけのままの空白が目立つようになってゆく(例えばあるコマはネームのみだったり、あるコマはラフな人物のスケッチだけだったり)。その、次第に虫食い状に増大してゆく空虚な空間の分布を見てゆくと三原順の仕事の進め方が分かって興味深いということがまず一つある。ちょっと見ると不思議なのだが、必ずしも頭からコマの順に描いている訳ではないようだ。描きかけのコマがしばらく続いた後にポコッと完成されたコマが現れたりしている。しかし、そういうコマは人物のいない風景ショットが多かったりして、おそらくアシスタントが自分の分担分をこなした跡なのだろうと思われるが、人物のコマもない訳ではないので本当のところは分からない。いずれにせよ、そういうアシスタントの作業も含め、作家が描けなくなってゆく工房の現実の過程が期せずして生々しく定着されてしまっているところがこの作品に異様な緊張感を与えてしまっているのだ。それはまるで「フーガの技法」が、最後の4声のフーガの中途でいきなり中断してしまうのを聴く時のような恐ろしさを感じさせる。もう一つの、この作品が我々に異様な印象を与える理由は、その何とも感情移入し難い不思議な絵柄のせいだろう。初期の代表作「はみだしっ子」と比べても、とても同じ人物の絵だとはにわかには信じ難い。ここでの人物達は、生命のないフランス人形か何かのような表情で無機質に操り人形のような演技を繰り広げるばかりなのだ。一応整った表情の内田善美の人物の無機質さよりもこっちの方が更に破綻している。
1996
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(c)1998 Haruyuki Suzuki