2001 2

‥‥一体どこが「2月」‥‥?

今月の1枚
ローリング・ストーンズ/Black And Blue(1976)
先月はコルトレーンでモダン・ジャズのクラシックを語ったので、今月はロックのクラシックを、ということで、いよいよローリング・ストーンズ。
それはそうと、2年ほど前にあるクラシック系の雑誌が20世紀音楽のベスト選出という特集を組んでいたのを立ち読みしたことがある。様々な選者がいろいろ挙げている中に根本的な疑問点が2つ浮上してきた。一つは、なぜ圧倒的多数が20世紀前半の作品ばかり選んでいるのかということで、20世紀後半の音楽が(話をクラシック系に限ったとしても)───むろん駄作は星の数ほどあれど───、トータルで言って残した収穫には経験的に言って「侮れないものがある」という確信があるだけに、選者の選定に問題があるのではないかという疑いが湧いた。まあ、現代音楽をろくに聞いていない「現代音楽関係者」なぞ別段珍しくもないから、業界紙が業界人を選者に指名すれば当然予想できる結果ではあったわけだ。しかし今はこの問題にこれ以上突っ込まない。
もう一つの疑問は、クラシック外の音楽としてビートルズを複数の選者が挙げていたこと。たしかに選定基準には「クラシック内」(という基準も曖昧だが)でなければならないとは書かれていないのでビートルズが入っても一向に構わないのだが、それを言い出せば一挙に選定の範囲は膨大に広がるはずで、ビートルズだけがそこに挙がってくるくらいですむはずがない。だから、ビートルズの名前だけが挙げられている状況はいかにも不自然であった。ここで、どのジャンルにも共通するある法則を思い浮かべる。それはつまり、「あるジャンルに本気で関心のない人間は、一般的にそのジャンルを代表するとされる存在にだけとりあえず接してすべてを語ろうとする」という法則で、例えば「現代音楽」であれば武満徹、「マンガ」であれば手塚治虫、「映画」なら黒澤明、「ロック」ならビートルズということになるのだろう。ビートルズは既に「殿堂入り」していて教養印の太鼓判を押された存在なので、ベストに挙げても自分の見識は低く見られないし、むしろ「クラシックの外にも目を向ける柔軟な私」を示すことができる(実際はその反対なのは既にお分かりだろうが)というわけだ。ところで、周知のように、ビートルズは様々な音楽のスタイルを取り入れることでロックの概念を拡大したが、その中にはクラシック/現代音楽もあって、それもクラシック側からの近寄り易さにつながっただろう。一方、あくまでリズム&ブルースの基軸を外すことなく、むしろそれをどこまでも洗練させていったストーンズは徹底してロック以外の何物でもなく、ロックになぞ本心では関心のない人間のヤワな「評価」なぞははなから受け付けない依怙地さを備えていた。と、やっと話が本題につながったところで今月はもう字数オーバーなのでここまで。異例だが、次回もストーンズの続き第2弾を。

今月の展覧会
(1)阿部展也(〜3月25日、東京ステーションギャラリー)
何となく名前は知っていたもののあまり意識して見たこともなかった阿部展也を初めてまとめて見ることができたのは非常によかった。30年代に具象画で出発して以来、シュールレアリズム、キュビズムを経てアンフォルメルにも接近し、やがて古典的な壁画技法(エンコースティック)を導入、晩年は一転してアクリルによる明快なハードエッジ・ペインティングの制作を続けた。どの時期のスタイルでも必ずクリアしている質の高さには驚く。エンコースティックによる作品は、厚塗りの仕上がりが作品に堅固な重厚さを与えてはいるけれど、フォートリエのような実存的な痛々しさの感覚というよりはむしろ純粋にものを作る作業と戯れる喜びによって満ちている。60年代半ばあたりになるとエンコースティックに因りながらも表現の方向はどんどん記号的になってゆき、厚塗りは既に意味を失ってゆきつつあるのがわかる。ここまで来ればもはやエンコースティックであることの必然性は薄れ、正反対のように見えるアクリルに飛び移ることも違和感なくできたであろう。1962年以降ローマに定住した阿部展也は次第に日本で忘れられ、むしろイタリア美術界との関わりの方がより深くなっていった。もともとそれより以前から阿部の作品はアンフォルメルなどの動向と軌を一にしていたので、ヨーロッパの現代美術界に溶け込むのはさして大変なことではなかったと思われる。世代的にいって、70年前後のアルテ・ポーヴェラの世代よりも、上の世代のフォンタナやカポグロッシらの方が阿部と時代の空気を共有する伴走者だった。今回の展覧会は、諸事情あっただろうが現在これほどの才能が不当に忘れられているという事実を世に知らしめる役割を担っており、阿部展也再評価の端緒を開く重要なものであるはずだ。阿部展也を支持しよう。
(2)小沢朋司(〜3月17日、銀座・ギャラリーなつか)
気のせいか、近頃不明瞭な形態を曖昧に画面に定着させようという作家が各地にいて、その中の幾人かは然るべき理由で失敗し、一部の作家はまた然るべき理由でかろうじてオリジナルな表現たり得ていたりするわけだが、先日発見した小沢朋司はそのうちの数少ない希有の成功例なのだと言い切ってしまおう。隠されているものは何もなくすべての素材、手法が陽の元にさらされ、これ以上はないシンプルな表情を身にまとっているというのに、掴みどころのない謎に包ま込まれてしまうのはなぜか。今回の作品展に出された作品は、すべて透明な板に何となく浮かび上がる色の塊とそれに重ねられたストライプ、というスタイルで統一されている。ここには何の謎もない。色の塊は明瞭な輪郭を持たず、ただある単一の色彩が周囲に溶け込むような形で境界線をどこまでもぼかすようにそこに存在している。その色の形態は至って単純なので、人は形態の「内容」などといった余計な観念に心乱されることはない。ただでさえ曖昧に描かれているその形態は、その上にストライプが描き加えられることで更にその存在感を希薄にしてゆく。均一なストライプであることで通常ならば形態に対する「地」の位置に納まるはずのそれは、色の塊の曖昧さとは逆に誰の目にも明確にそこに存在することでむしろ「地」の立場を逸脱して意識の前面に立ちはだかり、その分色の形態は背後へと押しやられる。だがそれだけではない。ストライプ自体の色は、塊の形態の色か、または形態の背景の色かどちらかと同じ色調に揃えられることで、色が混合してますます地と図の区別は曖昧になってゆく一方、透明板表面に描かれたストライプと板の奥に沈殿するように描かれた色の塊の位置の違いによって、その混合は完遂されることなくどこまでも半端な「曖昧さ」の域に宙吊りされ続ける。

今月の1本
狩人の夜(1955アメリカ、チャールズ・ロートン監督)
近頃映画館にかからなくなって最も残念な映画の1本がこの『狩人の夜』なのだが、これについていざ何かを書こうとすると、思い入れが強すぎるせいか何から書いていいものやら戸惑って筆が進まない、というのが実状なのであった。そういえばこの映画について顔色を変えずに語った人間にこれまでに一人も会ったことがないことに思い当たる。この映画を見てからというもの、ロバート・ミッチャムはたとえどんなにいい役でスクリーンに登場しようとも決して信用できない奴になってしまった。巻頭、夜空にリリアン・ギッシュの姿が浮かび上がるだけでもう、今自分がただならぬ映画体験の入り口に立っていることが了解できてしまう。ギッシュはその後当分はスクリーンに現れず、だいぶ後になって、逃げてきた幼い兄弟をかくまう老女として再登場するのだが、兄弟を引き渡すようにとやってくるミッチャムのいかさま牧師に対して勇ましく銃を向けて撃退するのが他ならぬリリアン・ギッシュだということが感動的で、彼らはいわば映画の守護女神に護られているのに違いない。ゴダールの『映画史』でも長々と引用されていた、夜の河を兄弟が舟で逃げてゆくシーンの信じがたい凄さは一体何なのだろう。兄弟を捕まえ損ない、水の中に立ちつくし両腕を挙げるミッチャムの姿は怪物以外の何物でもない。フレーム前面に虫や蛙などのクローズアップが配される忘れがたい一連のショットは、静かに流れてゆく舟の中で眠る兄弟の見ている夢なのかもしれない。ここでの虫のアップにはブニュエル的想像力と通じるものがある。『小間使いの日記』で、殺された少女の太股を這っていたカタツムリのクローズアップに通ずる何かが。この河のシーンといい、水中に藻のようにたなびく殺された母親の長い髪の撮り方といい、非常にフェティッシュなものを感じる。一見メルヘンとホラーとは無関係な相容れないもののように見えるが、メルヘンとホラーとの完璧な融合体がこの『狩人の夜』なのだ。あまりに異常すぎて当たらず、ハリウッドで干されついにロートンはこの映画1本しか撮ることができずに世を去った。このことがいかに人類の取り返しのつかない損失であったか、我々はこれから数百年かけてじっくりと思い知ることになるだろう。




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