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今月の1枚
シェリー・ハーシュ/O Little Town Of East New York(1995)
これは、生まれ育った故郷ブルックリンでの1952年から1969年までの様々な記憶を、ヴォーカル・パフォーマンスと音響のコラージュによって織りあげた作品。ここでの声は、歌も語りも含めてまさにパフォーマンスというべきものになっており、単なる「少女時代の思い出を歌った歌曲」ではないので、誤解なきよう。そうは言っても、ここでの声が回想から離反することはなく、周囲を取り巻く音響の中の一つというよりは常に意味を伴って音響を牽引し、あるいは引き離す「中心」としての位置を外れることはない。興味深いのはこの作品における意味と音響との間に生成される関係性で、声が指し示すある回想を音響が描写したり補助したりするわけではなく、回想の持つ情緒とつけられる音との間にはほとんど恣意的な関係しかないかのようだ。そもそもが当時の隣人たち一人一人についての淡々とした回想が大部分を占めており、ドライというわけではないがそう懐古的にベタベタ懐かしがっているということもなく、その語られる内容が淡々としているからこそその中から50、60年代のニューヨークの空気と風土とがみずみずしく蘇ってくる。テキストからできるだけ過剰な情緒を排したが故に、その上に意味の流れとは別の純粋に音楽自体の自立した流れを乗せることが可能になったのかもしれない。声は、先にも述べたように作品全体の中で特権的な位置にあるが、音響とは別の次元で語る超越的な立場にあるかと思えば次の瞬間には歌として「音楽」の中に入り込む、という具合に、その関係性を予想を裏切るタイミングで絶えず変化させてゆく。
(Shelley Hirsch/O Little Town Of East New York TZADIK TZ 7104 )

今月の展覧会
畠山直哉(〜9月25日第1部、9月28日〜10月16日第2部、恵比寿・ハヤカワマサタカギャラリー)
日本の1960年前後生まれの世代で最も重要な写真家の一人である畠山直哉の写真へのスタンスの取り方は、いわゆる80年代に言われたような意味での「ポストモダン」というよりは、まさに流行とは無縁の「モダニズム以後」を実感させる。例えば採掘現場の発破による爆破の瞬間を捉えたシリーズや、林立する工場を捉えたシリーズ、(あるいは産業廃棄物を撮ったシリーズ....だがあれが本当に彼の写真だったか今記憶が定かではないので、とりあえず括弧に入れておこう。もしかしたら違ったかな、でもあの感触は確かに彼のものだった....)。畠山直哉の写真に一貫して見られるのは、潔癖なまでにクリアなピントと静止したような無時間性だろう。この2つは無関係ではなく、クリアな画調であるからこそ無菌室的な静止した時間感覚に結びつくのではないか。彼の写真のテーマが時間性にあるのはほぼ間違いあるまい。ある特定の瞬間を切り取る写真に対して、長時間露光によって固有の時間の「いま、ここ」の感触を消し去り、永遠に続く静止した時間へと到る写真の流れというのがあって、杉本博司の映画館のシリーズなどがすぐさま思い浮かぶが、彼のことはまたいつか書くとして、畠山直哉の関心も基本的にはその方向にあるようだ。もちろん発破の爆破写真などは長時間露光ではないが、本来瞬間であるはずのものから特定の時間性を奪い去ったらどうなるか、というような試みを彼はやっているように思える。爆破の瞬間に自動的にセンサーでシャッター・スイッチが入り、一気にロール1本分の写真がフィルムのように連続的に撮られ、後からいいのを選ぶ、という撮影方法からわかるのは、彼が写真職人的な「決定的瞬間」から意識的に遠ざかろうとしている、ということだろう。畠山氏本人とは一度だけ会って話したことがあるのだが、それというのも赤坂プレジデント・ホテルでワルター・ツィンマーマンに引き会わされた、という訳のわからぬ出会い方をしていて、そもそもなぜツィンマーマンと彼とが知り合いだったのかはとうとう聞きそびれてしまったのだった。

今月の2本
(1)嵐を呼ぶ男(1957日活、井上梅次監督)
石原裕次郎が亡くなった時の追悼のテレビ放送で見た人も多かろう『嵐を呼ぶ男』は、「おいらはドラマ〜」のドラム合戦のシーンで新しい世代にも有名になってしまったが、あのシーンはそれなりの見せ場ではあるけれど映画全体の中では大して重要なシーンではない。あのシーンだけから連想すると裕次郎の能天気なヒーローものに思えもしてくるこの作品は、実は当時人気絶頂だった裕次郎が結局潰されて破滅してゆくという重苦しい物語なのだった。この映画は、昔初めて見た時のぼやけた印象ではそんなに認知していなかったのだが、あとになって見直してみると実はなかなかの映画で、それ以後井上梅次監督作品の追っかけになってしまったのは言うまでもない。というわけで、実は僕の関心は役者裕次郎よりは監督井上梅次の方に向いているのであった。裕次郎に関しては、そんなに好きということでもないしどちらかといえば不器用な役者だと思うのだが、60年代後半から太り出してからはもう見るに耐えなくなってしまった。若い頃の裕次郎は、育ちのいいお坊っちゃんが無理して不良を演じているというそのひねりの利いた存在の様態そのものがよかったのだが。さて、井上梅次という監督も全体像の見えにくい人ではあって、このようなアクションものも撮るかと思えば、一方では『ジャズ娘乾杯』や『嵐を呼ぶ楽団』などの能天気ミュージカル映画も多数手掛ける、いわば来た仕事は何でもこなす職人監督なのだろう。フリッツ・ラングの『飾窓の女』を想起せずには見れない『死の十字路』は日本が世界に誇るべき和製フィルム・ノワールの傑作だし、『緑はるかに』はいきなり女の子のメルヘン・ミュージカルで、どういういきさつかは知らねども、こういう形で15歳デビューしてしまった浅丘ルリ子はもうそのキャリアの初めから映画の魔に魅入られてしまったのだとでも解釈するより他にない。
(2)愛する時と死する時(1958アメリカ、ダグラス・サーク監督)
ラングもスタンバーグもルビッチも、みなドイツからアメリカへ移住してアメリカ映画を、ひいては世界映画史の富にどれだけ貢献したことか。それを思うと、これだけの才能を他国に引き抜かれてしまったドイツ映画が世界に2歩も3歩も遅れをとってしまったのも無理はない、などと久々にラングを見ながらつくづく感じ入っていたのだが、映画に限らず20世紀芸術におけるアメリカの優位は各国から優れた才能を次々に迎え入れ自国の富としてしまったその懐の深さ(というか大雑把さか?)にあったのは疑いない。そしてこのダグラス・サークもまた然り。ドイツ時代に既に『南の誘惑』や『ハバネラ』その他の感動的なメロドラマをいくつもものしていたサークは、人生の後半期をハリウッドの映画作家として送った。そして、渡米以後のラングがそうであったように、サークもハリウッドのシステムと同化してゆきつつ商業主義との妥協では全くない傑作群を残した、そのことを何よりもまず喜びたい。ハリウッドのシステムと同化できない場合は、ブニュエルのように1本も撮ることなくさっさとメキシコへ去ることになったのだろうけども。さて、この『愛する時と死する時』の美しさに言葉で接近を試みるのは初めから無謀と承知の負け戦なのだが、ここまで来れば是非もなし。シネマスコープの画面と全体を統べる青の色調、そして2人の愛のかそけきメタファであるのは意表を突いて梅の花。いろいろあって再び戦場に戻った「彼」が、「彼女」からの懐妊を告げる手紙を読む、即ち生命の誕生=生きること、を実感し捕虜を逃がしてやったその直後に、その捕虜によって撃たれる。そして最後は、氷のように静止した水面の上にハラリと落ちる彼女からの手紙と、夢の中の出来事のような緩慢な仕種でその手紙を掴もうと空しく宙を掻く彼の手のショット、ここでは既に「彼」の顔は画面からは抹消され、人格を欠いた物言わぬ手と手紙のみの画面。彼の手から静かに遠ざかって流れてゆく手紙の、そのゆるやかだが絶対的に取り返しのつかぬ運動の残酷さにおののくことこそがこの映画と、ひいてはサークと出会うことに他ならない。




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