今月の2枚
(1)ゲルニカ/改造への躍動(1982)
世に出てまだまもない『改造への躍動』を、初めて発見した時の印象は今でも忘れがたい。確かにこの作品は今までのポップスの文脈でも現代音楽の文脈でも収まりをつけることのできない未知の手応えに満たされていたのだった。そしてこの発見の日以来、上野耕路はずっと気になる存在であり続けてきた。すべてが徹底的に「既知」なものから成り立っているが、それらが対等の重みでつぎはぎされ、架空のレトロな物語を紡ぎ出している様はまさに80年代の時代風潮とも一致していたのだろう。しかし、単に上野がそうした「世の趨勢」を敏感に感じ取ってうまく乗っかった、のではないことは、その後の彼の歩みを見ても分かる。自らフランス6人組や新古典主義の影響を隠さない上野は、その新古典主義的な資質をアカデミックな方向に向け、いくらでもいるただの伝統主義的な作曲家になる、という退屈な道を聡明にも選ばなかった。この『改造への躍動』が成功しているのは、戸川純のヴォーカルのためもあるけれど、やはり全体を見事にコントロールしきった上野耕路の舵取り+作曲の才能の賜物といえる。上野から離れた戸川純のソロ・アルバム『玉姫様』のむごさを見ればそのことがよく分かろうというものだ。だが、忘れてはならないもう一つの重要な勝因は、この、シンプルなシンセの手弾き(+打ち込み?)のアレンジが、すべて生オケへの嫉妬によって組織されている、ということだ。これを聞く度に、上野が本当はオーケストラでこれをやりたかったに違いない、という思いを抑えることができない。「代用」として選び取られたシンセのルサンチマンが、キッチュとしてのアルバム全体の方向と見事に一致してしまったというのがこの作品の凄さなのだ。後年の、経済的余裕ができて晴れて本物の生オケを使って作られたゲルニカの2枚のアルバムを聞くと、『改造への躍動』にはあった「抑圧から来る輝き」が見事になくなってしまっていることが分かる。上野自身は、ゲルニカ作品を後に「フェイク」だと総括しているが、近年の彼の純器楽作品がもしもフェイクを離れてただの「マジ」な新古典主義音楽になってゆくとしたら、これからの道のりは険しいものになってゆくに違いない。
(2)デティ・クルニア/ボンチェン・ドン(1984)
インドネシアのポップス事情にも別段明るくはないけれど、なぜかデティ・クルニアだけは前から聴き続けていた自分にふと思い至る。他のインドネシア歌手との比較はできないので、この音楽の文脈の中での彼女の位置を測るのは難しい。ただ、この『ボンチェン・ドン』の中で歌っているもう一人の歌手アアン・ダルワティとのとりあえずの比較ならできる。端的に言うと、ダルワティの声にはいささかインドネシアというより東アジア的な「辛さ」が感じられるのに対し、クルニアの方は声質が柔和で屈託がない。ここでのガムランの影は明らかだが、これについてもよくは知らないので、墓穴を掘る前に深入りするのはやめておこう。メロディラインだけ取ると、さほど欧米のポップスの感覚から遠く隔たっているとは思えないし、和声的にも同じことが言えそうだ。すべての曲で、ではないが、ガムランの金属系打楽器が始終チャカポコ鳴り、和声的に「正しい」基音の部分はむしろ隠蔽されて上の高次倍音の方がよく聞こえるので、結果的に非西欧的な響きを獲得する。普通だったらある曲でチャカポコやっても別の曲ではリズムパターンをガラッと変えるとかしてメリハリをつけるのに、このアルバム全体を通して(更にいえば他のクルニアのアルバムも)テンポ感はほとんど一つしかないと言っていい。つまり、もうこのテンポ感やチャカポコしたリズム感はメリハリをつける対象にもならないほどの自明の、空気のような存在なのだろう。それを外部の人間が聴くと、全体としてはカラフルではあるがいつも同じトーンが支配する金太郎飴のような音楽となる。ここにおいてはもはや時間は止まっている。過去も未来もない極楽にたゆたう陽性(妖精?)そのものの化身と化したクルニアの声。

今月の展覧会
ヘルムート・ニュートン(〜5月9日、赤坂・東京写真文化館)
ファッション写真の大家ヘルムート・ニュートンの作品は、気をつけてさえいればそう滅多に見られない、というわけでもない。そして、実は僕自身はニュートンの写真を単純に好きだとも言えないし、むしろあのあくの強さが煙たいこともあるのだが、それでもあの才能が圧倒的であるのは疑いない。例えば、ハイヒールを履いた足首を撮った80年代の写真があるが、たったこれだけの限られた素材なのに既にニュートン以外の誰でもあり得ないものになっているのは驚きである。ニュートン的女性、というものが存在する。完璧な美貌と完璧な身体を持っているが、マネキン人形のように彼女らの個人的な部分は完全に抹消され、隠蔽されている。また、ニュートン的ポーズ、というものもあるだろう。多くの場合、ニュートンの女性らは手首を腰のくびれに当てたりなんかして、背筋をピンと伸ばし、胸を張る。日常生活においては、このようなポーズを取る必要はまるでないし、特にヌードでそれをやる状況というものは考えられない。彼女たちのそのポーズは誰のためのものなのか?何に奉仕するものなのか?答えは明快、彼女らはニュートンの美の神殿に捧げられる供物として、生活臭をこうして剥奪され、洗い浄められてニュートン作品の素材として差し出されるのだ。建物や窓枠その他の効果的な使用による幾何学的直線の強調があるかと思えば、何かの映画の1シーンのようにも見える謎めいた演出による「意味性の撹乱」という具合に、持ち札は多彩かつ大胆、そんなヘルムート・ニュートンも今年79歳を迎える。

今月の1本
グロリア(1980アメリカ、ジョン・カサヴェテス監督)
カサヴェテスの映画ほど、ハリウッドから遠く隔たった映画もない。アメリカにおける劇映画で、ハリウッドとは全く異なる土壌から出てきたその最大の収穫がカサヴェテスであることは間違いない。生涯役者と監督の2足のわらじを履き続けたカサヴェテスは、役者で得た収入を自分の作品の制作につぎ込むことによって映画を撮り続けてきた。それでも残された本数が12本という少なさなのは、彼自身の性向が元々そうなのか、はたまた制作費の問題故か。第1作目(にして既に傑作)の『アメリカの影』(1959)以降のカサヴェテスの映画すべてに共通する特徴はラフなフレームの切り方と役者の演出の自由さだが、徹底的に「編集の映画」としての伝統を貫いてきたハリウッドに対し、「俳優の映画」というスタンスを貫いてそれで偉大な成果を収めたのがカサヴェテスなのである。丁度彼が映画を撮り始めたのと同時期に大西洋のむこうフランスではヌーヴェルヴァーグが勃興していたが、奇しくも両者ともに似たような問題系を共有していたのは興味深い。何となく彼の映画を見ていると、「彼の映画は、カメラを持ちさえすれば誰にだって映画は撮れる、という気にさせてくれた」というスコセッシの発言もあるように、なんか適当にカメラを振り回していれば映画はできる、という風に思えてくるというのも、わからなくはない。そこで勘違いして適当にカメラを振り回して撮られてしまった駄作というのも世界中には相当数あるに違いない。このやり方は、メソードがないだけに余程の優れた感覚と才能がないとうまく行かないのだろう。カサヴェテスといえば妻の女優、ジーナ・ローランズで、もう彼女さえ出ればどんな映画でもすばらしく見えてしまうというこちらの偏向を差し引いても、今回久々にリバイバルされるこの『グロリア』はポピュラリティも備えた必見の作品。4/24より、シネセゾン渋谷にてレイトショー上映。




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