今月の1枚
チャールス・ミンガス/ブルース&ルーツ(1959)
個人的な事情を言えば、ミンガスの音楽との邂逅は、ジャズに目覚めてのかなり初期に属する事柄、ということになる。初めはジャズってなる程こんなものかと思って納得していたのに、やがて他のジャズにもはまり出すと、次第にミンガスの音楽だけが持つ独自の色合いが見えてくる。ミンガスの音楽は、ある面非常に土臭くやたら体臭が「臭う」音楽だが、その体臭はどう間違っても白人のものではない。しかし、アンサンブルの整然さが妙に西洋オーケストラっぽくもあり、その辺の相反する両要素の配合具合があの独特の味を生み出しているのだ。ミンガスといえばあの巨体でいつも怒っているようなイメージがあるが、実は一面相当に知的な人物でもあるに違いない。作品の構成は、即興と言うよりもビッグ・バンド的に、ということはクラシック的に、もともとは譜面上でかなり考えて構成されているはずだ。最終的には譜面を離れて演奏しているのかもしれないが、根っこにあるのはおそらくエリントンにつながるビッグ・バンドの作曲の考え方だろう。そのように骨組みとしての構成を一度きちんと建てた上で、各奏者の自発的な身体的パフォーマンスがアドリブ込みで発揮される。ミンガスで1枚と言われれば、僕としてはどうしても『道化師』になってしまうが、この『ブルース&ルーツ』も、ジミー・ネッパーやダニー・リッチモンドら共通するミュージシャンもいて録音時期も近く、有名な『直立猿人』や『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』『ティファナ・ムード』などと並んで、50年代末から60年代にかけての全盛期の1枚だと言える。

今月の公演
マース・カニングハム舞踊団(10月22,23,24,26,27日−新宿文化センター、10月31,11月1日−新潟市民芸術文化会館)
マース・カニングハムの来日はこれでもう結構な回数になるはずだが、何度来てもらっても来すぎるということにはならない。今回はカニングハム=ケージの未完の大作『Ocean』が入っているだけに、ますます以て行かないという訳には行くまい。『Ocean』は、ケージの残したものをアンドリュー・カルヴァーが受け継いで完成させたということだが、以前カルヴァーがこの曲について語ったプランがそのまま実現されているとすると、ケージが最晩年の3年間に作曲した素材の中からチャンス・オペレーションによって選ばれて構成された素材が、更にチャンス・オペレーションによって112人のオーケストラに割り振られる、という形で音楽の部分はできている、はずだ。小杉武久の参加はマース・カニングハム舞踊団にとっては既におなじみだが、ジム・オルークまでが最近は彼らと共同作業をしているというのは、初めて聞いたときは驚いた。はたしてオルークはどういう形で関わり、何をやってみせるのか、興味ある。そして、やはりチャンスによって振り付けられたダンスが音楽と「偶然の出会い」を演じる、というスタイルもケージ=カニングハムのコンビとしてはいつものやり方だろう。カニングハムの振り付けを見ていると、人体の動きがフィジカルな「自然な」発想とは別の次元からの操作によって決定され、操られてゆくのを見る不思議な感覚が湧いてくる。チャンスによる音の操作以上にチャンスによる人体の動きの操作は制約が大きいだろうに、カニングハムの驚異的なのは、それがまるで単純な物理的な運動でしかないかのように無色透明に行われてしまうということだ。それに比べると、奇しくも同時期に来日するラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスの振り付けでさえもはるかに古典的に見えてしまう。

今月の展覧会
ピエール&ジル(〜10月18日、ザ・ギンザ・アート・スペース)
以前何かでピエール&ジルについて少し触れたときには誤解していたので、今、訂正しておきたいが、実は彼らの仕事は一切テクノロジーのお世話になっていない、純粋に手仕事の産物であるらしい。あの作品の仕上がりのドライさやデジタルな感触からすると、これはにわかには信じがたいことだ。彼らの表層の戯れにのみ徹する姿勢は天晴れと言うべきである。潔癖なまでに内面を持たず、視覚的効果への関心のみで緻密に作り上げられたその作品のあり方は、ある意味で、具象絵画を表層化したスーパー・リアリズムに並行する、コンピューター・グラフィックスの表層化とも言えるかもしれない。さて、彼らの今回の作品展は、タイやラオスで撮ってきた人物写真を素材にした「アジアもの」である。そしてここでも彼らのいつもの姿勢は変わらない。アジアの歴史だの政治だの文化だのは関係ない。「アジア的なるもの」に対する外国人の抱くイメージ、エキゾチズムにのみ殉じ、そのイメージを拡大してみせる。これこそ純粋に模範的キッチュと言うべきであろう。通常のキッチュの場合は、オリジナルに比べていかにも一目見てチープな作りになっているものだが、ピエール&ジルの場合は仕上がりがあまりに緻密で美しいので、これはこれでまたキッチュを越えたもう一つの現実として認めてもよい気にもなってしまうのだ。

今月の2本
(1)キッスで殺せ(1955アメリカ、ロバート・アルドリッチ監督)
やっとアルドリッチのことを語れる時がやってきた。50年代ハリウッドの映画監督ですばらしい才能の持ち主は確かにいろいろいて、サークの湿り気もフラーの野蛮さもドン・シーゲルの大胆さもフライシャーの職人芸もアンソニー・マンの屈折ぶりも捨てがたいが、僕としては究極的にはニコラス・レイとアルドリッチの2人を採る。時をほぼ同じくして世に出たこれらの同志たちが、赤狩りその他の理由で次々に撮れなくなってゆく時に、アルドリッチは70年代もふてぶてしく生き延びて撮り続け、ついに最後までそのエネルギーが衰えることはなかった。そのすべてが成功している訳ではないが、遺作になった『カリフォルニア・ドールズ』(1981)、そのひとつ前の日本未公開作『フリスコ・キッド』(1979)は紛うかたなき傑作。アルドリッチの映画群に共通するある種の楽天性、というか肯定性は、それがある故に彼の映画を陰惨な重々しいものにすることから救っているが、それは必ずしも具体的に「ユーモア」という形で発現するとは限らない。例えば、血も凍る『何がジェーンに起こったか』(1962)の中に具体的にギャグという形で彼の肯定性は現れはしなかったはずだが、積年に及ぶ姉妹の憎悪の物語は、ついに最後の海のシーンで崇高なカタストロフィを迎える。ハッピー・エンドとは言えないはずのこの終幕が全く陰惨ではないのは、ひとえに、アルドリッチの「演出する喜び」=「映画の肯定性」がたえず全編を包み込んでいるからでもあるだろう。『キッスで殺せ』もスケールの大きな野心的傑作だが、最後に禁断の「パンドラの箱」を開けてしまう時に迸る閃光は、そのままラオール・ウォルシュの『白熱』のラストに通じる強烈さだ。10/31より、シネセゾン渋谷にてレイトショー上映。
(2)La Vie De Boheme(1992フィンランド、アキ・カウリスマキ監督)
つい先日、パリ郊外ナンテールで上演されたドナトーニのオペラ『Alfred,Alfred』の開演前に入ったレストラン。すぐ向こうのテーブルを見やると、談笑している数人の中にどうも見覚えのある風貌の白人女性の姿が目にとまった。どうしても思い出せないが絶対に何かの作品の中で見たことがある人だった。彼女がカウリスマキの『ラヴィ・ド・ボエーム』の主演女優エヴリーヌ・ディディその人であることに気づくまでにはもうしばらく時間がかかったが、ここに至ってドナトーニとカウリスマキというどう考えても結びつきそうにない2つの固有名詞が彼女を蝶番にして結合される様を体験するのはスリリングでもあった。オペラ自体は、食道楽の結果糖尿病になってしまったドナトーニ自身が病院のベッドに横たわって見る自分のこれまでの人生の夢想、といったもので、冒頭の、スクリーンに大写しされて自分の好きな食べ物について嬉々として語るドナトーニの姿からして彼がいかにグルメであるかをしみじみと思い入らせてくれるもので、コミカルでもありしかし笑ってはいけないようでもあったが、ともあれここでは『ラヴィ・ド・ボエーム』の方に早く話題を持ってゆくべきだろう。ドナトーニからカウリスマキへと目を移すと、風景は突如としてグルメから極貧へと一転する。小津の強い影響下、省略と訥々とした語り口によるドライな文体でセンチメンタルな物語をズタズタに切り裂いてゆくカウリスマキの映画に、グルメは似合わない。中でも極貧の極めつけがこの『ラヴィ・ド・ボエーム』だが、その主演女優が『Alfred,Alfred』を見るというのはまるでカウリスマキの映画の中に出てきそうなアイロニカルなギャグだ。最後、彼女の死とともにいきなり日本語で『雪の降る町を』が流れ出すのを聴く時の音と映像の齟齬感は凄いが、これは日本人以外には感じられないものなのかどうかに興味がある。

今月のマンガ
黒茶色ロマンス(1984、陸奥A子)
いきなりさくらももこの話から入るが、僕はかねてよりさくらももこは陸奥A子ファンなのではないかと睨んでいたのであった。さくらももこのエッセイの類は一切読んでないので(エッセイマンガは読むけど)、彼女がそういうことを書いているのかどうかは知らないけれど。陸奥A子の影響は、さくらももこのギャグの線ではない、いわゆる「かわいい女の子」を夢みるように描く時に顕著に現れる。そう、夢みる純情な少女マンガの王道を歩み続けて今日に至る陸奥A子のマンガは、確かに今やこの路線での規範ともいえるのかもしれない。陸奥A子の世界の中では、劇的な大事件は起きることがない。このいわゆる「おとめチックラブコメ」路線でも、例えば太刀掛秀子にしろ昔の岩館真理子にしろ、陸奥A子よりはもっと劇的な要素を盛り込んでいたと思う。岩館真理子は大島弓子の影響からか、その後表現の深化を遂げ、時折人生の深淵をも垣間見せるような作家にまでなってしまったが、それはまた別の話。さて、話を陸奥A子に戻すと、この、劇的要素の排除は彼女の作品が常に短編であることとも関わっているに違いない。しかし、考えてみれば実人生に大事件などそうしょっちゅう起こるものではなく日常は淡々とした些細な小事件の連鎖から成り立っているわけで、その意味では女子中高生の読者にとってのより等身大な物語を提出する陸奥A子にとって、事件性の排除は当然の選択の結果なのであろう。等身大の日常が、手描きで描き込まれた手編みのマフラーのような温かい、かつセンスのいい線で紡がれてゆく、それが陸奥A子の作品世界なのだ。そこにだって大した才能が要求されることはいうまでもない。




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