作曲家・鈴木治行のコラム

今月の1曲
フランシスコ・ゲレーロ/アルス・コンビナトリア(1980)
1951年生まれのゲレーロは、間違いなくパブロ、ハルフテル以後のスペインを代表する最も才能ある作曲家である。ゲレーロの音楽が寄って立つ先達はどう考えてもクセナキスだが、今まで聴き得た数少ないゲレーロの作品のどれもがクセナキスの全盛期の最高水準の作品に拮抗しうる強靭さを備えていたことは、いくら強調してもし過ぎることはない。これは真に驚くべきことだ。今しも、この文章を書くために久方振りに彼の音楽を聴き直したばかりだが、驚嘆と興奮のために実のところ文章を書くどころではないというのが正直なところではある。ヴァレーズ以来の、楽器の音域に極端に無理をさせることによるインテンシティの強度の獲得もクセナキス経由ともいえるが、ゲレーロの音楽は外骨格のクセナキスの音楽よりも内部構造が一層複雑で実の詰まったものであることは、「サハラ」(1991)などのオーケストラ作品を聴くとよりよく分かろうというものだ。この6楽器のための「アルス・コンビナトリア」において、極度の緊張感と表現性を孕みつつ苦痛に身を捩りうごめく楽器群のむこうに、純粋な正弦波の音色を思わせる他の楽器の澄み切った音響が雲母の煌めきのように見え隠れするのを聴く時、そこに現前するものは濁ったカオスではなく、どこまでもクリアに見渡すことのできる膨大な距離、空間の感覚である。

今月の1枚
ブライアン・イーノ/Another Green World(1975)
イーノのアンビエント・レーベルでの環境音楽シリーズが始まるのは70年代後半にさしかかってからのことである。これらのアンビエント作品の中では、多分最も人気があるであろう「鏡面界」よりは「On Land」を取るが、それは、シンセ音それ自体が審美的にいささか美し過ぎる「鏡面界」が、環境の中に置かれた時に結局その美しさのために環境とそこにいる人間との間にちょっとセンチでファッショナブルな「環境ムード」を容易に醸成してしまう危険が、「On Land」にあってはそのノイズ性によってうまく回避されていると思うからだが、それはともかく、僕にとっては実は環境音楽のイーノよりもロックのイーノの方にまだ関心が向くのは昔から変わらない。ロキシー・ミュージックの初めの2枚で共同作業したブライアン・フェリーとは、結局ポップ志向とアート志向の違い故にか別れ(しかしフェリーのどこか資本主義的腐臭を放つポップも捨てがたいのだが)、アンビエントに行くまでの数年間に数枚のロック・アルバムを作ることになる。で、イーノのロック・アルバムの一枚といえばそれはまず何といっても「Another Green World」であり、もうだいぶ長いこと聞き返してはいないが、ビートも旋律もある音楽でありながらただそこにあるだけでいかなる方向性も持たず、控え目でありながらなぜかその存在が一度聞いたら忘れられない音の佇まいを備えたこの作品は、全く環境音楽のイメージからは外れるものでありつつも実はアンビエントのシリーズよりも遥かにあり得べき環境的音楽として成功しているのではなかろうか。ありていに言って、今、現代において環境音楽的な方向での表現で何かをやろうとするならば、まずはサティを想起させないことが最初の段階で問われる最低限の倫理であろう。その意味で、このアルバムは既にしてペンギン・カフェやモーガン・フィッシャーの域を越えた地点から出発していると言うことができる。
(Brian Eno/Another Green World - Virgin/EG VJCP23194)

今月の展覧会
橋口譲二 第4部 17歳(〜5月17日、表参道・青山ブックセンター内)
3月より開かれてきた橋口譲二の連続写真展もこれで最終の第4部へと入る。第4部はまだ未見だが、これまで日本から始まってロンドン、ニューヨーク、ベルリンその他の都市において様々な若者の姿をカメラに収めてきた橋口譲二は、今度は再び日本に焦点を合わせるようだ。どこの都市を撮影の舞台にしようと、橋口譲二の関心は都市の差 違そのものよりもそこで生活する若者の生態自体に向けられており、都市そのものの表情はあくまで背景として背後に退いている。若者たちは多くがツッパリだったり失業者だったりと、その社会にうまく適応していない者ばかりだ。彼らの険しい表情が表象するものは、世界各地で生活する人々の違いというより、むしろ同じ一つのこと=現代都市が普遍的に持つ顔、のようなものだと言った方がいいだろう。そして会場の壁のところどころに、彼らのうちの誰かから取材したとおぼしき発言が掲げられている。周囲の写真の中の誰の発言とも分からぬそれらの言葉は、このディスプレイの仕方によって、特定の誰かの言葉ではなく彼らのうちに遍在する普遍的無意識のようなものとして機能するようになっており、要するに、ここでは最終的に彼ら一人一人の個性は消され、「社会からはみ出した若者たち」という大きな括りによって記号化された存在と化しているのだ。このことの是非は今は問わないが、例えば荒木経惟の写真が、あくまで個人性=私写真へとこだわることで匿名性から遠く離れてゆくのを思う時、橋口譲二のこの展覧会シリーズは、被写体の固有名の問題について改めて考えてみる材料を提供しているとも言える。

今月の2本
(1)ポネット(1996フランス、ジャック・ドワイヨン監督)
2年前のパリ。モンマルトル墓地のフランソワ・トリュフォーの墓の一つ向こう隣に、ドワイヨンの「泣きしずむ女」の主演女優ドミニク・ラファンの墓はあった。物語は忘れても、文字通りいつも暗い目をして泣いていたあの映画の中でのラファンの表情は忘れられるものではない。ドワイヨンの映画においては、演技する役者の肉体の現前が、時として信じ難いほどの生々しいエモーションへと至る。人は「イザベルの誘惑」のジゼル・グラスの恨めしげな泣き顔や「女の復讐」のベアトリス・ダルの表情を忘れることはできない。それらドワイヨン映画の噴出するエモーションが究極の純度にまで達した極北の傑作が「ラ・ピラート」(1984)であることは、とりあえず今は措く。ドワイヨン映画を見る行為、それはしばしば見続けているのが苦しい体験でさえあるのだが、そこに「俳優の映画」という括りでカサヴェテスとのかなりの近親性を認めることはできても、決定的に両者を隔てているのはやはりフレームに対する意識の違いだろう。ドワイヨンのフレームはブレッソンの絶対的な厳密性を通過してやってきたものであることは疑いないが、役者の演出の自由さに関してはカサヴェテスを想起せずに見ることはできまい。厳密なフレームによって縛られた息詰まる空間の中で繰り広げられる、「今、ここ」のみで成立する役者の演技の現前。今回の「ポネット」が、母を亡くした幼い少女の精神の彷徨の物語であるのは、既に「小さな赤いビー玉」や「ピストルと少年」などの子供の映画を撮ってきたドワイヨンを思えばなんら驚くには当たるまい。最後に死んだ母がポネットの前に出現してしまうことによって、ポネットのみならず、観ている我々もまた救われる。これをありふれた死者の回想シーンとして回収してしまうことは心して慎もう。渋谷、ル・シネマにて上映中。
(2)カオス・シチリア物語(1984イタリア、パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督)
そういえば近頃タヴィアーニ兄弟の新作の話をとんと聞かないのは、「太陽は夜も輝く」以降単に日本に新作が輸入されていないだけなのか、それとも本当にあまり映画 を撮ってないからなのか。昔は「さそり座の星の下で」などの何とも忘れがたい不思議な前衛映画を撮っていたタヴィアーニ兄弟も、グリフィスの「イントレランス」にオマージュを捧げた「グッド・モーニング・バビロン!」ではハリウッド的なドラマ作りへと最接近するまでに至ったが、その更なる行く末に一抹の不安を感じたのも事実ではあった。一体現在彼らはどうなったのか、確かめないことにはいつまでたっても落ち着かず困るのだが……。そんな彼らの映画の中では、前衛から娯楽へと移行する過渡期の、双方の要素が丁度よくブレンドされた「父/パードレ・パドローネ」(1977)や「サン・ロレンツォの夜」(1982)、なかんずくこの「カオス・シチリア物語」あたりが一番映画的に豊かな作品群だといえよう。武満徹の60年代後半から70年代初頭にかけての作品群の豊かさと丁度パラレルな話ではある。さて、この頃のタヴィアーニ兄弟に共通する要素は、イタリア南部の田舎の豊かな自然を舞台にしてのネオ・リアリズムの血を引く映画作りだが、この「カオス・シチリア物語」では特にフォークロア的な性格が顕著だ。全4話のエピソードを、空を飛ぶ鳥で結びつけ橋渡しさせることによって、人間たちの諸々の営みを静かに見降ろしている天の視点を、全体を貫く保続音として設定することに成功している。

今月のマンガ
ツタンカーメン(1997、山岸凉子)
「アラベスク」「妖精王」「日出処の天子」という3大長編を書き終えた山岸凉子は、以後10数年もの間時折思い出したように短編を発表してゆく作家として過ごしてきた(それでも大島弓子よりはまだ書いてる方か)。それと同時に内容的にも幾分か丸くなり、かつての華麗さ、仮借なき生の残酷さの表現は後退し、代わって淡々とした語り口や以前には滅多になかったハッピー・エンドの割合が多くなってきたように思う。それでも山岸凉子の新作がどこぞの雑誌に載ったと聞けばついつい追いかけて読まずにはいられぬ歳月を過ごしてきたわけだが、ここにきてついに久々の長編であるこの「ツタンカーメン」が登場する。エジプトものと山岸凉子との取り合わせを意外に思う向きは、往年の傑作「スピンクス」を思い起こしてみるといい。この作品が一旦は「封印」というタイトルで始められながら、連載がストップし、ままあって「ツタンカーメン」として復活したその内情については知らないが、一度はあわや途中で中断かと危ぶまれたものの、結局無事完結したことにまずはホッと胸を撫で下ろす。撫で下ろした上で、愛着もあるにせよやはりこれは低カロリー活動に入って以後の山岸作品なのだという当たり前の事実に改めて思い至るのだった。シナリオの見地からの不満の一つは、やはりツタンカーメンの墓を発見して目出たく終わるという最初から当然予想されていた結末をついぞはみ出せなかったことだろう。勿論そこに至るまでの様々な経緯、困難の連続がエキゾチズムと共にサスペンスを見事に醸成していたのではあるが、このハッピー・エンドに自らを異化する葛藤はない。そこが、同じ歴史物である「日出処の天子」とは決定的に異なる点である。「日出処の天子」が最終的に到達したような、歴史の大きな流れの中に人間のすべての営みが埋没してゆく印象が生じてこないのは、単に「ツタンカーメン」の全体の長さがまだまだ足りないためばかりでもあるまい。また、折角の、作品を異次元へ飛躍させる鍵であったはずの謎の少年カーのエピソードが途中で萎えていってしまうのも、山岸凉子本人も言うようにオカルトや超常現象を強調して歴史の事実性を歪めたくなかったからだとしても、かえって作品のスケールをこじんまりとまとめてしまう結果になってしまったようだ。ここでまたしても「日出処の天子」を想起すると、あそこでの山岸凉子は想像の領域への飛躍を恐れないことでかえって歴史のイマジネールな真実性へと至ることに成功していたのではなかったか。などといろいろ言いはしたが、これも山岸凉子への期待値がそれだけ高いからであって、勿論この「ツタンカーメン」が手に汗握る、読んで悔いのない作品であることに異論はない。




1996
[4月の鈴木治行のすべて]
[5月の鈴木治行のすべて]
[6月の鈴木治行のすべて]
[7月の鈴木治行のすべて]
[8月の鈴木治行のすべて]
[9月の鈴木治行のすべて]
[10月の鈴木治行のすべて]
[11月の鈴木治行のすべて]
[12月の鈴木治行のすべて]

1997
[1月の鈴木治行のすべて]
[2月の鈴木治行のすべて]
[3月の鈴木治行のすべて]
[4月の鈴木治行のすべて]
[5月の鈴木治行のすべて]
[6月の鈴木治行のすべて]
[7月の鈴木治行のすべて]
[8月の鈴木治行のすべて]
[9月の鈴木治行のすべて]
[10月の鈴木治行のすべて]
[11月の鈴木治行のすべて]
[12月の鈴木治行のすべて]

1998
[1月の鈴木治行のすべて]
[2月の鈴木治行のすべて]
[3月の鈴木治行のすべて]
[4月の鈴木治行のすべて]

[鈴木治行の索引のすべて]






(c)1998 Haruyuki Suzuki