2000 6月
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2000
サム・フランシス(〜8月6日、日比谷・出光美術館)
もともと、サム・フランシスは日本では比較的見ることのできる美術作家だった。奥さんが日本人だったせいか、日本とも浅からぬ縁があったようだし、そういえば最初にフランシスの名前を知ったのも昔読んだ武満徹の本の中でだったはずだ。かつては目にしすぎてだんだん食傷気味になったくらいだが、東京周辺では80年代に比べてむしろ最近の方がフランシスの作品を目にしなくなってるような気がする。フランシス自身は抽象表現主義には通常括られないが、血縁は決して浅くないわけだし、僕も最初にこの方向の絵画の存在を知ったのは彼の作品を通してであった。彼は早い時期からパリで活動していたが、同時期のアンフォルメルの絵画よりはずっと抽象表現主義の方に近い印象は、キャンバスの空間のダイナミックな裁き方から由来するのだろう。一番影響を強く感じるのはポロックで、ドリッピングという作法を用いれば絵の具がキャンバスに落下して飛び散ることによってできる形態は誰でもある程度共通するような気もするけれど、ポロックとの大きな相違点は、偏愛する色彩が赤と青であること、それに余白の部分の存在の大きさ、だろう。絵の具不在の箇所の雄弁さのためにオール・オーヴァー性からは遠ざかり、むしろ「無」の空間を色彩が引き裂く、ということで日本の「書」的なテイストを孕み、それが日本でも受け入れられた一つの理由だったのかもしれない。もしかしたらこのフランシス絵画の特性自体がそもそも「書」から来たものだったのかもしれないが、その辺は今のところ想像の域を出ないのであった。
恋すがた狐御殿(1956東宝、中川信夫監督)
中川信夫といえば一般には「怪談映画の巨匠」として認知されているけれど、実際は彼の残した97本の映画のうちで怪談ものの占める割合はそう高くはなく、むしろこのキャッチフレーズのために陽の目を見なくなってしまっている時代劇その他多くの映画群をこそ発掘し、再上映して欲しいとかねてから思っていた。そこで、今回のキネカ大森での久々の中川信夫の連続上映は嬉しいところだし、4年後には更に本格的な回顧上映が予定されているというので否が応にも期待は高まらざるを得ない。今回の上映は2期に分かれていて、前半でまず代表的な怪談映画で中川信夫とまだ未遭遇の人々の目を驚きとともに開かせ、後半の非・怪談ものの上映にも引っ張ろうという戦略は正しい。一番脂の乗り切った円熟の時期に新東宝での怪談ものの企画を手掛けたことが、代表作『東海道四谷怪談』(1959)をはじめとする諸傑作を生み、それが「怪談映画の中川信夫」という印象を決定づけたのだろう。13年振りに撮った遺作『怪異談・生きてゐる小平次』(1982)で中川信夫を発見した時は衝撃だった。ブランクの長さを全く感じさせぬ、これが77歳の手になるものとはにわかには信じられぬ映画的な若々しさは、これが紛れもなく80年代日本映画の屈指の傑作であることを確信させたものだが、そのブランクの間に演出していたTV の『プレイガール』を今こそ見たい。怪談とプレイガールというこのギャップが、一体どのように埋められているのか。アレは、当時はほとんど見てなかったし、見ても自分がまだ子供すぎて演出がどうの、といった観点からは見れなかっただろうし。さて、『恋すがた狐御殿』は、美空ひばりをフィーチャーした歌謡時代劇だが、僕の知る限りで「映画の中での美空ひばり」ベスト1はこれ。これは怪談ではなく、人間に助けられた狐が娘になって恩返しをする、というものだが、人ならざるものの演出や、異界(=狐の世界)の描写などで怪談映画に通じるテクが用いられている。それにしても、中川信夫の場合、怪談映画を見ても怖がるより先に映画として感動してしまうのは、怪談の受け手としてはもしかして邪道なのだろうか?この話をするには、「恐怖」という感覚についてまた別個に思索を巡らす必要があるのでとりあえず今は立ち入らないでおこう。「中川信夫全宇宙への助走」は7/7まで大森駅前、キネカ大森にて上映。
わたしが嫌いなお姐様(1992、木原敏江)
決して木原敏江のコアな読み手ではないし、代表作『摩利と新吾』もまだ読んでないくらいなので総括的な話はできないのだが、彼女の、歌舞伎に題材を取った後年の作品は実は結構好きなのであった。もともと少女マンガの王道に沿って西洋的な意匠、風俗をベースにキャリアを始めて、のちに徐々に日本的な題材の比重が高まってゆく、ということでは山岸凉子とも共通するが、その方向は大きく異なっている。おそらく、山岸凉子になくて木原敏江にある資質で最たるものは、「ミステリー指向」なのだろう。もちろん山岸凉子にもそういう要素はときどき見られるが、山岸の場合はあくまで主眼はミステリーそれ自体よりもその向こうに立ち現れる人間精神の深い闇、だったりするわけで、一方木原敏江はむしろ物語ることそれ自体の快楽でやってるようなところがある。絵的には、初期の鋭角的なラインは柔らかみを帯びるようになり、スクリーン・トーンを多用するようになってきて陰影感が増してきた。人物の顔で最大の変化は瞳の描き方で、初期のまつげ&光彩過剰な瞳は抑制されて現実に近くなった。個人的には今の方が好ましいんだけど。この、あすかコミックス『わたしが嫌いなお姐様』の中に収められている一篇『流星』の、遊女である主人公が、自分を外に連れ出してくれるはずだった恋人が死んだ直後に見上げる夜空の流れ星のシーンのすばらしさ。これは昔の木原敏江の描写では描きえなかったものだろうし、言葉の力抜きに、画面の力だけで無限に広がる時空を定着してしまうという、石森章太郎にすら通じる優れた達成であった。
1996
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