2000 5

今月の2曲
(1)ホープ・リー/Voices in Time(1994)
アジア出身の作曲家の中でも、成人してから欧米に移住した作曲家と子供のうちから移り住んだ作曲家とでは、そのアイデンティティの形成に違いが見られるというのは、それは確かにそうだろう。1953年台湾生まれのホープ・リーは14歳でカナダに移住し、それ以後は、数年間ドイツでK.フーバーについてた時期もあったとはいえ、基本的には今でもカナダを中心に活動している。彼女の作品はこれしか知らないので全体像については語るまい。しかし、この音楽の表現力の強度、イマジネーションの確かさは、彼女が紛れもなく本物の作曲家であることを証明している。この曲を聴いて中国/台湾らしさを感じることはなく、それどころか西欧的な発想を持ち、西洋音楽(それも現代ドイツの)の修練を経てきた人物であることがわかるのだが、この作品ではアンサンブル+テープという形で水の様々な様態を原イメージとして音楽全体が作られている。彼女にとって、自然界の音響は重要なインスピレーションの源であるらしい。音楽による水の様態といえばやはり武満の名が出てきてしまうのだが、音楽は武満のそれとは似ても似つかない。特に70年代半ば以降の次第に調性的要素が強まってきてからの彼の音楽のような柔和な表情はホープ・リーにはなく、同じ水といっても、むしろ荒れ狂う濁流に近い。アンサンブルは時に線的、時に反復的なモチーフをついては離れして奏し、衝突し、飛沫となって離散する。テープは主にクラスター的にノイズ的音響を導入するが、途中何度か出てくる民族楽器のようなサウンドは、そういう楽器奏者の記述がないのでこれはテープの音なのかもしれない。しかしこれが「中国的」なのかといえばそうでもなく、むしろ無国籍的な異空間からの音響、といった趣。一方非クラスター的で音の一粒一粒がクリアなアンサンブルのサウンドは、テープと対比されるというよりは一つに溶け合う。テープはカルガリーの彼女の家の近くの水辺で録音した音を加工したものが重ねられていて、ほとんど元の水音が聞き取れることはなく、全体の音響は時にノイズに接近する。やや後半に一カ所、短いがはっきりと元の水音が生のまま聴かれる箇所があるが、ここでだけ具体的なイメージをもろに聴かせるのは、折角ここまで抽象的に水を「原イメージ」として表面に出さずにやってきたのに、それがここだけ逐語的な表現になってしまっていてうまくいっていない。なにはともあれ、これは十分聴くに値する音楽だ。
(2)中田喜直/海四章(1947)
中田喜直の20世紀音楽についての言説については、たしかに「わかってない」と言わざるをえないし、例えば今でもときどき聞く「倍音列から自然にきたものだから、調性音楽こそ本物」的な考えに到っては困ったものだが、作家として調性音楽の枠中でそれなりの成果があったのであればそれはそれとしてきちんと評価しておきたい。ここでは話を歌曲に限定するが、周知のように中田喜直は生涯に多数の歌曲を作った。かつて、僕にとっては戦後約10年の間に作られた中田喜直の歌曲は特別な存在であった。今はもう長い間接していないけれど、この評価は基本的には変わらない。おそらく、日本においてR.シュトラウス、フォーレ、ドビュッシーの歌曲を早い段階で消化し、付け焼き刃ではないレベルで作品として提示しえた最初の存在が中田喜直だったと思う。これには、よく言われるように彼が当時としてピアノに通じた作曲家だった、ということも関係がある。橋本国彦がやはりそうで、山田耕筰が和声の教科書レベルではない変化和音と創意工夫に富んだ歌曲を日本で初めてものした(例えば同世代の信時潔と比較してみよ)のに続いて、近代フランスを日本に持ち込んだ。橋本の場合はむしろややラヴェル指向だったが。中田喜直のフランス的な部分は、むしろ『時間』や『光と影』などのピアノ作品の方に明瞭に現れている。人口に膾炙した『夏の思い出』や『雪の降るまちを』だけを思い浮かべると、全くのシンプルな調性の人のように見えるかもしれないが、それは間違いで、歌詞の要求によっては後期ロマン派から無調一歩手前くらいまでのところまではやってくる。それでも最終的にはロマン主義的な立場から離れることは絶対にないのだが。そういえば後年の歌曲集『木の匙』(1964)は全くの素直な抒情歌曲だが、この詩人が寺山修司だというのがにわかには信じられない。『"マチネ・ポエティック"による四つの歌曲』(1950)は、同時代の前後の作品の中で比べるとやや時代が下った語法によっている。この『海四章』は、中田喜直にとって詩との作業が最もうまくいった詩人・三好達治の詩によるもので、三好の詩のひらがな発音の美しさが見事に歌に融合している。4つの歌曲の構成の仕方、詩的イマジネーションの向いている方向性、その達成度からいって、フォーレの『幻想の水平線』を思い出さずにはいられない。

今月の展覧会
西山美なコ(〜6月10日、表参道・ギャラリー・シマダ)
たしかに西山美なコはポップ・アートの血を引く作家ではあるだろうが、そこにジェンダーの問題が絡まってくることで、一筋縄では行かないいくらか独自のスタンスを獲得した。かつてはポップ化した日本の少女趣味(例えばリカちゃんハウスなど)をあからさまに題材にした作品を作っていたものだが、これは女性が見るのと男性が見るのとでは自分の子供時代に照らして印象はかなり違うものなのだろうか。彼女に対してもし日本の少年趣味をネタにした作家を対比させるとしたら、それはヤノベケンジなのかもしれないが、ジェンダーにこだわらない多くのポップ作家を思うにつけ、西山美なコのポップ素材の特異性が気になってくる。人それぞれではあるだろうけれど、自分の幼年時代を振り返ってみると女の子向けのおもちゃ類とか少女雑誌の類にはそんなに惹かれはしなかったものの(少女マンガに目覚めたのはもっと後年)、そこには何か見えない線の引かれた侵犯しがたい「向こう側」の世界が広がっているのは感じていた。いま西山美なコの作品を前にすると、あの「見えない線」の感覚とは一体何だったのか、ということに思いを馳せたくなる。しかし近年、彼女の作品は更に新たな展開を見せる。去年だったかの、同じ画廊での個展では白い冠などの装飾的な小品が出されていたが、その装飾の模様がアール・ヌーヴォー的というか、唐草模様の要するに昔の少女趣味の家や服の作品からそれらを少女的たらしめていた装飾のエッセンスだけを取り出して見せたものだったのだ(少女マンガとアール・ヌーヴォーの親近性は明らか)。しかも、それらの作品はすべて砂糖と卵で作られていて、「女の子の好きな」お菓子につながるラインもきっちり引かれている。その材質からして当然壊れやすいわけで、今回の展示では壊れて断片化した「装飾の破片」ないしは前回展示した装飾品の部分写真などが見せられる。一点、数年前に作った砂糖と卵による装飾作品が崩れ、変色した残骸も展示されていて、ここに至って、彼女がただの楽天的な少女趣味の作家などではなく、時間性、あるいは事物の有限性を相手にしたしたたかな作家なのだということが明らかになる。こうしてどんどん断片化してきて、さて次がどうなるか楽しみ。

今月の1本
ルートヴィヒII世のためのレクイエム(1972ドイツ、ハンス・ユルゲン・ジーバーベルク監督)
現代ドイツ映画の最も重要な作家の一人でありながらいまだに日本では見れる機会が皆無に等しいジーバーベルクだが、かといって本国ドイツでは高い人気を得ているのかといえばそういうわけもないらしい。何しろ作る映画はやたら長いし、後で述べるようにその作風は全く大衆的ではなく通常の作りを大きく逸脱しているし、当然全然儲からないので次第に経済的に追いつめられ、近頃はヴィデオに活路を見出しているという話。彼の作品歴の中でも一番物議を醸したのは7時間にも及ぶ大作『ヒトラー』で、ドイツでこういう題材で映画を撮ることがいかに危険な試みであるかはいうまでもなく、そういえばキーファーが初期に路上でナチ式の敬礼をするパフォーマンスをやっていたという話を思うにつけ、よくキーファーは無事で来れたなと感じ入るのだが(ドイツではこれをやると犯罪になると聞いたが‥‥)、まあキーファーは措いといて、そんなジーバーベルクが拠って立つ国内でのポジションが不安定なものであるのは容易に想像がつこうというものだ。ところで僕もいまだにこの『ヒトラー』を見れないでいるわけだが、この映画が『ルートヴィヒII世のためのレクイエム』とともに「ドイツ三部作」のうちの2本をなすことや、その他の若干の情報によって『ヒトラー』が大体どういう映画であるかは見当がついているつもりだ。『ルートヴィヒII世のためのレクイエム』の方は、ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』とほぼ前後して撮られたとはいえ、当然のようにその方向はまるで異なっていて(ヴィスコンティの方はあまり感心しない)、マニエリスティックな作りに徹している。ズームもパンもない動かぬカメラ、アクションの排除、場面はただカットによって切り替わる。人物の会話は常に相手不在のモノローグで、というとまた随分禁欲的なフィルムだと思われそうだが、その一方で場面場面を統べる強い色彩、ワーグナーを中心として絶えず氾濫する音楽、あからさまなまでのチープなカキワリの使用、などがリアルではないもう一つの仮想現実へと人を導く。フィルム内フィルムでは映画の時代を無視して現代ドイツの雑踏の風景が流れたり。要するに、ドイツ神話、ワーグナー、ナチス、現代ドイツなどをルートヴィヒII世をとりあえずの蝶番にして縦横に混交させてドイツの歴史の総体を浮き彫りにする、という壮大な試み。それも、己が映画であるという現実からあえて目をそらし、絶えず演劇に嫉妬し続けながら画面が組織されてゆくという屈折した存在の様態。




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