2000 4

今月の1曲
ヘンリー・ブラント/Kingdom Come(1970)
3月にニューヨークにしばらく滞在していた間、ヘンリー・ブラントの息子の家にずっと転がり込んでいた関係で、またブラントの音楽に関心が引き戻されてしまった。息子はニューヨークではそれなりに知られているらしい美術家なのだが、息子の家=父の家とはいえ、当の父の方はもうながらくカリフォルニアに住んでいるので今回会うことはなかった。息子のことはひとまず措いといて、その父、ヘンリー・ブラントの話だが、彼は1913年に生まれ「空間音楽」というタームで知られているアメリカの重鎮作曲家である。残念ながら日本で彼の作品を生で聞けるチャンスは滅多にないので、その「空間音楽」の実践を体験したことはないが、滅多に聞けない理由の一つには、彼の作品の編成にばかでかいものが多い、ということもあるだろう。オーケストラや合唱団、ジャズ・コンボなどを何群も用い、それらを観客を囲む形で配置したりしているようだが、ディスクではその辺の空間性のフォローがいかんせん不十分なのはやむを得ず、ブラントについて語ろうとすればその辺の生体験の欠落というギャップがどうしてもついて回る。「空間音楽」といえば当然シュトックハウゼンの名前が出てくるが、直接の影響関係はないらしく、それどころか若干先んじているという話。シュトックハウゼンはセリー化するパラメーターの一つとして空間性を導入したが、ブラントの方はセリーにはまるで何の関心もない。彼の音楽に見られるのは、音響の統一性などには背を向けた、雑多に、バラバラに生起する音響イヴェントで、こういった非統一的な要素の並置はアイヴズの伝統を引くものだろう。コープランドにも師事したというブラントだが、一つ一つの音自体は楽器をよく響かすように書かれている、という意味では伝統的で、ケージの音楽には批判的だったとはいっても、元をたどればアイヴズという共通の先祖のところで一つに交わるわけだ。50年代以降のブラントの音楽は、確かに「空間性」を原点として発想されているのは間違いない。そうでなければ、80本のトロンボーンで聴衆を取り囲み、80本のスライドのうねりの渦の中に聴衆を巻き込もう、などという音楽が出てくるわけはない(『Or bits』)。空間をダイナミックに活性化できさえするならば、ジャズでも即興でも何でも投入してしまえ、といったおおらかさが彼の持ち味だろうか。
(Henry Brant/Kingdom Come・Machinations - PHCD 127)

今月の公演
スラップ・ハッピー(5月13〜28日のうちの9日間、吉祥寺・Star Pine's Cafe、他に京都、札幌。コンサートの詳細はhttp://www.eyewill.co.jp/concerts.htm
ここ2、3年の間にスラップ・ハッピー周辺を巡っての胸騒ぎを掻き立てずにはおかない予兆はあった。2年前に突如として23年振りの新作『Ca Va』が発表され、ダグマー・クラウゼやピーター・ブレクヴァドがそれぞれ別々の企画で次々に来日し、彼らの「今」を刺激的な形で見せられてきて、そしてここに来てのついに実現する本家スラップ・ハッピーの来日は、ある種の人々にとって(もちろん僕もその一人)とてつもない大事件である。クラウゼが前回マリー・ゴヤッティと来日した時の路線は、クラシックを素材にしての「サンプリング歌謡」だったが、あのライヴは30年前から活動しているとはとても思えない年齢不詳の妖精のようなクラウゼのキャラの魅力と、詳述はしないがシンプルながらすべてが「肯定」のみから成っているという音楽の方向性の強さが相俟って、あれはあれでよかったとはいえ、やはりスラップ・ハッピーの音楽とは全く別物であった。クラウゼの声が70年代よりずっと低くなっているのには驚いたけれども(というか、昔が高すぎたのか?)。一方、ブレクヴァド、グリーヴズ、カトラーによる確か同じ年のライヴはといえば、クラウゼ&ゴヤッティとは180度反対ながらこれもまたスラップ・ハッピーの路線とは似ても似つかないもので、ずっとフリー即興の比重が高かった。思うに、スラップ・ハッピーとは、メンバーの内にある前衛志向、ポップ志向、実験音楽志向がそれぞれ互いを引っ張り合い、その化学反応の結果できた音楽の賜物なのだろう。アルバムごとに、どの要素が強く出るかでトーンが変化している様は興味深い。ほとんど同じ曲を取り上げた『Slap Happy』(Casablanca Moon)と『Acnal basac Noom』を比較するとそのことがよくわかる。ファウストと組んだ『Acnal basac Noom』では、常に潜在的に持っているファウスト的な要素──音の実存が、曲自体が求める必要かつ十分な域を過剰に超越してしまい、表現のインフレ状態に到る──の方に大きく触れている。どちらもいいが、個人的には『Slap Happy』の方にあまりにも思い入れが強いので最終的にはこっちを取る。ここに聴かれる、類を見ぬ純度で結晶したある透明さ、切実さの印象は曲、アレンジ、演奏のレベルの高さからだけでは説明がつかない。

今月の展覧会
宮島達男(〜5月14日、東京オペラ・シティ・アート・ギャラリー)
宮島作品を現代日本のテクノロジー文化の象徴、あるいはメタファとして見るのは人の自由ではある。しかし、彼の活動全体を見渡す時、本人の関心は実はそんなところにはないということがわかるだろう。もともと彼の関心は、テクノロジーというよりは「カウンティング」それ自体にあって、それが一つの形として発光ダイオードを通じて現れたのに過ぎまい。エレクトロニクスに全くよらない彼の「カウンティング」作品、もしくはパフォーマンスを見ると、表面上の現れはもちろん発光ダイオード作品と似ても似つかないが、数えることへの尋常ではないフェティッシュなこだわりという共通項によって同一作家の刻印が押されていることが明らかである。かのボロフスキーもカウンティングに異常にこだわっていた作家だが、ボロフスキーの場合は数が直線的にどこまでも増殖してゆくのに対し、宮島達男では数はたった9種類の中を無限にグルグルと循環し続ける。そんな「カウント」フェチの彼が発光ダイオードに行き着き、それを集積するスタイルを見出した時がまず一つの大きな飛躍ではあった。今回の展覧会では、宮島スタイルを思う時誰もが思い浮かべるであろうダイオードの「赤」が注意深く排除されているのにまず意表を突かれる。そして話題の大作『メガデス』だが、発光が青であること以上に目を引いたのは、まず一つ一つのカウンターがいつになく小さい、言い換えれば数字間の空間がいやに大きく取ってあること。これによって、一つ一つの数字の指し示す記号としての「意味性」は後退し、離れて立つと青い光の粒子群が一見ランダムに明滅する、そのテクスチュア全体が突出する結果となった。そして何よりもこれまでと異なっているのは、会場のどこかに仕掛けられたセンサーが呼び起こすらしい、一斉に起こるすべての明滅の全休止と、そのまったき暗闇の中から次第に点って増殖してゆく光の粒子。パフォーマンスも含めこれまで彼が一貫して守ってきた「無時間性」は崩れ、物語的、あるいは演劇的と言いうるかもしれぬ時間が導入された。確かにこの「メガデス物語」は力強く美しい。そして、数字の意味性よりも(星雲のような)青い粒子群の形態を優先させた彼の姿勢からしてここでの宮島の、大文字の「メガデス物語」へと向かう姿勢は確信的である。彼がこのまま物語化の道を邁進するのかどうかはわからぬが、一方で洗面器の水に顔をつけている限りはまだそうはなりそうにもない。

今月の1本
浮草(1959大映・小津安二郎監督)
言わずとしれた小津後期の傑作。戦前に撮った『浮草物語』のリメイクだが、『浮草物語』の方が坂本武、飯田蝶子、八雲恵美子などの当時の小津映画の常連の出演によって紛うことなく松竹映画の刻印を押されているのに対して、『浮草』の方はと言えば、京マチ子、若尾文子、川口浩などの大映常連の出演によって、小津映画の中でも見慣れぬ顔風景を形作っている。この映画が戦後の小津作品の中でも異彩を放つ理由はまだ他にもある。戦後は日本のブルジョワ階級の家族の物語を繰り返し描いてきた小津だが、この『浮草』は珍しく旅芸人の一座の物語だし、カメラが小津作品ではこれが唯一の宮川一夫で、彼の手になるグリーンの柔らかな色調は一度見たら忘れがたい。そして何より、既に言われていることだが、あの、中村雁治郎と京マチ子が激しく罵り合う土砂降りのシーンは、「小津映画では雨は降らない」という前提が無意識に体に染み込んでいればいるほど、異様な風景として目に焼きつくだろう。二人の切り返しの背後に交互に逆向きに現れる、フレームを斜めに横切る庇の直線が忘れられない。当時大映の期待の新星だった若尾文子は、まだ60 年代増村映画で女優としての驚異的な成長を遂げる前のフレッシュで天真爛漫な時代(「娘時代」か?)だったはずなのだが、この『浮草』では、京マチ子の差し金とはいえ、川口浩を誘惑する役どころなのは、もしかすると小津はその慧眼で彼女の中に潜む悪魔的な資質を見抜いたのかもしれない。例外的に小津映画の常連である杉村春子も、いつものコミカルで映画の中に周りとは異なったテンポを導入する役回りではない、しっとりと落ち着いた古風な女性を演じているのもヘンといえばヘンだ。5月5、9、21日に東京は千石・三百人劇場にて上映。




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