2000 2

今月の1枚
ディープ・パープル/ライヴ・イン・ジャパン(1972)
いきなりディープ・パープル。しかし特に理由はない。つい先日、20年の側にはるかに近い10数年振りに聴いてみたら意外とよかったので、ついつい取り上げてしまった、というところ。僕が純粋に昼も夜もパープル漬けになっていたのは高校卒業してすぐの1週間だが、これも特に理由はないので、そこに架空の青春物語を想像されるのは自由だがあまり意味はないだろうということを先に言っておこう。70年代前半にはレッド・ツェッペリンとブリティッシュ・ハード・ロックの二大バンドとして人気を二分していたパープルだが、バンドの総体としての音楽性においては、今となってはツェッペリンの方に軍配が上がる。パープルは、迫力はあるがいささか単調なリズムセクションにその上が乗っかる、という基本形態で、全体としての野暮ったい音楽のありようはツェッペリンのリズム・セクションも上も一体となって初めて成り立つ多様な全体性には比較できない。だが、その野暮ったさこそがパープルなのだから(GFRがそうであったように)、これはこれで一向に構わないということだ。その野暮ったさを全面的に展開したのがヴォーカルのイアン・ギランで、もう、繊細さなどには目もくれずひたすらでかい声量で押しまくる彼のヴォーカルのバンド自体の方向性との見事な一致は美しい。彼の後釜で入ったデヴィッド・カヴァーデールは、ギランの「鈍器でぶん殴る」型に比べるとむしろシャープな「剃刀」型で、こちらも好きだったのだがやはりバンドとの一体感ではギランだろう。ギターのブラックモアのバッハ好きは有名だが、実際にバッハの反復進行を曲の中に使用することでバロック的というかゴシック的というか、そういう味わいを獲得した。更に言うならば、ギターという楽器は調弦の基本が完全4度なので、人差し指でセーハして平行移動させると必然的に平行オルガヌムが一丁上がり、というわけで、これの多用がまたパープルの音楽に古風な装いをもたらしたことも押さえておきたい。

今月の展覧会
猪熊弦一郎(〜3月20日、東京ステーション・ギャラリー)
もともとは東京オペラ・シティの難波田龍起を取り上げるつもりだったのだけれど、取り上げるタイミングを逸しているうちに既に終わってしまい、同じ時期に東京でやっている、難波田と同世代のもう一人の注目すべき画家である猪熊弦一郎がここに登場することと相成った。まとめて見るのはこれが初めてだが、変化の足取りがよく見えるという点でも興味深い展覧会だと言ってよい。30代後半でパリに移り住むまでの彼の歩みは、写実的な具象からキュビズムの洗礼、マティスの強い影響、というルートをたどっていて、なかなかのレベルだとはいえ、このコース自体はそう当時としては珍しいものではあるまい。猪熊が変貌を遂げるのは渡仏以後である。抽象的なギザギザ模様が画面を覆い尽くしてゆき、やがてそのオール・オーヴァー性はギザギザ模様を細長い形象の中に封じ込めてゆく、という方向で緩やかに変化を遂げてゆく。細長い形象の外部に茫漠とした空間が広がるようになる。一切の奥行きを欠いた、クリアでデザイン的な画面作りは、同じくパリで活動した菅井汲を想起させずにはおかないが、考えてみれば菅井が渡仏した頃にはほぼ入れ違いで猪熊はニューヨークに移り住んでいるので、同時代の同じ都市での2人、というシンクロニシティは成立しないようだ。それが日本に住んでいなかったためなのかどうかは一概に断言できないが、湿っぽさを全く排したドライな作風はむしろ潔く好ましい。猪熊弦一郎、1902年生まれ、1993年没。

今月の1本
江分利満氏の優雅な生活(1963東宝、岡本喜八監督)
先日ある授賞式で小林桂樹を間近に見てしまったから、というつもりでもないのだが、ここでこれを取り上げることにしてしまった潜在意識の底にはその影響もあるのかもしれない。この映画は小林桂樹の代表作のみならず岡本喜八の代表作でもある。岡本喜八はほとんど観ているはずだが、熱狂的なファンがいることも知りつつも、実は自分にとっては、双手を挙げて絶賛するには何かが足りない、という存在なのだった。双手を挙げて絶賛してもいいと思えるのは初期の数本で、『結婚のすべて』、『若い娘たち』といった雪村いづみを主演に据えた恋愛コメディはそのみずみずしさ、テンポのよさですばらしい。テンポのよさということでは、確かにその後の岡本作品も今日に至るまでそうなのだが、清順とは違って確か江戸っ子ではないはずの岡本喜八の映画が江戸っ子的スピード感を当たりに撒き散らすのは、きっと、マキノについていたという後天的な理由の方が大きいのだろう。最初の恋愛コメディ2本の後、「暗黒街」ものや「独立愚連隊」ものが始まって、アクション作家としての岡本の評価が定まるのだが、この辺はいいとしても60年代半ば以降の岡本作品にはどうもついてゆけない。『肉弾』(1968)は大谷直子のういういしさで好きだけれど。一つの大きな理由は、彼がしょっちゅう繰り出す仕掛けの効いたつなぎや「技」の数々が、あまりに多すぎて疲れる、というか、急と緩ではなく急ばかりで休みなく攻められ続けているような感じがあって、それがかえって映画の気圧を一様にしてしまう、ということなのだろう。人工的というか技巧的というか、その小手先の技の方が前面に出てしまっている、という印象。この『江分利満氏』も随所で技巧的なのだが、岡本にしては珍しい主人公のモノローグという文体が、アニメの導入やら人為的ストップモーションやらの「技」の数々を主人公の「照れ」という形で映画の中に必然として定着することに成功しているが故に、この映画では技巧が映画と一体化している。こういう形で「技」を飼い慣らすことに成功した作品は彼の中でも他にはなかったはず。

今月のマンガ
少年塔(1995、白山宣之)
過去にもどこかで何度か見た記憶だけはあるものの、脳裡に焼きつきそうになる一歩手前でなぜか頭の引き出しの中の確たる位置にしっかりと納まることなく通り過ぎてしまう作家というのがいて、この白山宣之はまさにそういうタイプなのだが、それはどうも彼自身の寡作のせいなのだ、ということにしておこう。結局、表現者というものは、ある程度評価の波が乗ってきた時にはすかさず間をあけずに次の話題作を放たないと人々の記憶には残りにくくて、その意味で寡作というのはつらいところではある。つげ義春だって、60年代後半にブレイクした頃には今とは違って結構書きまくっていたわけで。さて今、ほとんど本人に関する情報のない状態ではあるのだが、この『少年塔』には、一見昔ながらの少年向け冒険マンガのようでありながら、どこか乗ることを読者に許さぬ居心地の悪さが終始ついて回る。作品によっては明らかに大友克洋だったり、時によっては星野之宣みたいですらあるが、それは画面の作り方全体や言葉の選び方においてそうなのであって、しりあがり寿がやったように元の作家の絵柄に似せてパロる路線というわけではない。そもそも絵柄を誰かの作風になど似せていることもなく、でも強烈にオリジナルな絵だということもなく、ではこの絵は誰に似ているのかと問うならば、それはいつか見た昔ながらの少年漫画、としか言いようがないのであった。巻末に付録のようについている読者の(疑似)投稿コーナーのセンスを見ても、かなり昔の(50〜60年代?)少年雑誌を下敷きにしているのは確かなようだ。それなのにカット割りなどはそれ以降の時代のものだったり、アングラな、「ガロ」的方向で作ってるくせに絵だけはメジャー指向だったり、といった随所に垣間見える「ずれ」の様態は興味深い。




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