1999 11

今月の公演
アート・リンゼイ(12月18日−渋谷・クラブ・クアトロ、12月19日−大阪・クラブ・クアトロ)
アート・リンゼイは多角的な音楽家で、プロデュースの分野でも重要な仕事を数多ものしているが、彼自身の音楽はというと、これがまた一筋縄では行かない(ニューヨーク周辺には一筋縄では行かない音楽家が多いような気がする)。大きく分けるとノイズ系即興とロックとラテン、ということになるのだろうか。とはいえ、かつてのDNAにしても、ノイズ音響それ自体を前面に押し出すことには重きは置かれていず、やはりノイズというよりはポスト・パンク的なインタラクティヴな即興と言うべきだろう。純粋なノイズ音響の究極といえばやはりメルツバウまで行かないと。そして、70年代後半からのニューヨークでの彼のこの路線での活動は当然ジョン・ゾーンともクロスするところとなり、『ロクス・ソルス』(1983)にもつながっていくわけだが、一方、一見全く相容れないように思えるブラジル音楽との半端ではない影響関係もリンゼイにはあって、それは彼自身17歳までブラジルで育ったという出自も大きく影を落としているのは確かで、事実カエターノ・ヴェローゾやガル・コスタらのプロデュースも行っているし、例えば彼が自らヴォーカルを取る時は、ラテン的でない曲であってもどこか淡々としたボサノヴァ的な歌唱になる点にも伺える。近年のソロ・アルバム『Ocorpo Sutil』『Mundo Civilizado』etcは一層強まってきたブラジル色がなぜか直感的にニューヨークと言うしかないトーンと相俟って全くすばらしい出来だが、今回の来日公演は来日メンバーからいってもこの前出た『Prize』中心になるのだろう。実はまだ聴いていないのだが。「ディスクは極力中古で入手」主義で行くと、公演までに耳にするのはなかなか難しいと思われるが、さて。

今月の展覧会
石内都(〜12月11日、京橋フィルムセンター)
先月から東京の3カ所でやってた石内都の写真展も次々に終了してきてしまったが、一番遅くまでやっているフィルムセンターのこれは、この中では一番規模も大きく、今日までの彼女の活動を鳥瞰できるという意味でもおすすめ。石内都は近年、老人の身体や、肉体についた傷痕のシリーズを撮り続けているが、身体とはいっても、その身体の所有者である本人の個人的なプロフィールには彼女は関心がない。全身像も顔も排除されて、カメラがひたすら見つめるのはクローズアップで克明にフィルムに定着された皮膚の細部で、その皺の1本1本やしみ、関節のくびれなどが、ただただ物も言わず並列されている。しかし、一見無人格的なこのアプローチが、逆にその個人の生きてきた歴史をまざまざと浮き彫りにしてしまうのも確か。傷痕のシリーズでは、横に、傷がその肉体に生じた原因が簡単に(「病気」とか「事故」とか)記されている。この2つのシリーズは基本的に同じものを目指しているのだろうが、普通なら痛々しくて正視に耐えない老いてゆく肉体のクローズアップは、モノクロで撮られることによって生々しい現実から離反され、想像の領域の中で崇高さを獲得する。少し前のシリーズ「1・9・4・7」では、作家と同年生まれの人々の肉体のクローズアップが撮られていたが、あそこでは、老人とまではいかないが若いとも言えない肉体が凝視され、それが作家と同じ年のものであるという情報が、作家が自分自身の肉体の老いを凝視しているかのような眼差しを作品に付加していた。あれを知ってて最近の老人や傷痕のシリーズを見ると、今度は作者が「将来の自分」または「事故や病気でこうもなり得たかもしれない自分」を、現実にカメラを向けた人々の彼方に見ているかのような思いにも駆られるが、彼女の関心は「自己の開陳」などではなく、それを越えた人間の普遍的な「自分という存在」そのものに向けられているのである。最初期に、廃屋と化したアパートの壁の、剥がれ朽ちてゆく表面にカメラを向けていた頃から、思えば石内都の関心は終始一貫していたのだと言える。

今月の1本
地獄(1999石井プロ、石井輝男監督)
まだ見てない映画をタイトルに掲げるのはこれが初めてだが、どうも書く前に見に行けそうにないので、ここで予想も込めて言いたいことを言ってしまうことにした。というのは、ある予感があって今回のこの石井作品には期待しているからで、『ゲンセンカン主人』で復活以後のいくつかの石井映画は見てなくても今回のこれだけは見て欲しい、と自分もまだ見てないのに人に是非勧めたい映画、それがこの『地獄』なのであった。復活以後の作品で、往年の、佐藤忠男に「ここまで低級になっていいのか!」とまで罵倒された東映エログロ路線時代の石井輝男に比較的近いのは前作の『ねじ式』で、原作をそのまま安易に直訳したかのような演出はさすが逐語的な作家・石井輝男の面目躍如、とはいえそれだけなら『ゲンセンカン主人』もそうだったのだが、更に全く意味なく取ってつけたような最初と最後の海辺でおどろおどろしくのたうつ半裸の「獣人」たちの饗宴の、あの過剰なまでの無意味さのテイストはまさに往年の「石井節」だった。で、今回はオウムを初めとする最近の日本の現実にあった事件を、まだ裁判の決着もついてないというのにあからさまに取り上げて当事者たちを地獄に落としてしまうというのだから、この社会的過激さというかいい加減さは他に並ぶ者もない。まずもって、日本映画史を振り返っても「地獄」と名づけられた映画は同じ作家の他の作品とはかけ離れた怪作になることになっていて、中川信夫や神代辰巳の例を出すまでもあるまいが、その上に石井自身、昔からこの手の「実録もの」を時々手掛けてきたことを想起しておこう。『実録三億円事件・時効成立』もいいが、『明治・大正・昭和・猟奇女犯罪史』にゃ参った。明治以降の日本の犯罪史で名高い「悪女」を主人公に、4篇くらいのオムニバスにして撮ったものだが、その中の一篇がかの阿部定の話で、途中に何度か、町中でインタビューを受けてるいい家庭そうなおばあさんのシーンが挿入されてて、初めはなんなんだと思ったが、インタビューの内容を聞くと阿部定事件のことを懐かしそうに、あっけらかんとのどかに「若い頃のいい思い出」のように語っている実は老成した(?)阿部定本人であったというのにはぶっ飛んだ。上野、横浜にて上映中。

今月のマンガ
銀のロマンティック・わはは(1986、川原泉)
熱烈に好きというわけでもないのに、ついつい読んでしまう川原泉という存在。シリアスを書こうとしてもいつの間にかコメディになってしまうというのは、天性のコメディ作家なのか、あるいは「シリアスを書こうとしてコメディになってしまう作家」を完璧に演出している実はシリアスな作家なのか。一応ほとんど読んでいるはずだが、最近は寡聞にして新作を見かけないのは単に僕がチェックを怠っているから、なのだということにしておこう(事実そうですが)。今のところ読んだ最後の作品は『小人たちが騒ぐので』だが、これはちょっと....という感じで、このまま下降線をたどっているとは思いたくはないのだが。おそらく彼女の最ものっていた時期はやはり80年代後半で、一般的に言ってもこの頃の少女マンガ界での人気は高かったと思う。彼女の作品をポンポン読み飛ばすのは難しく、一冊読むのに時間のかかるタイプではあるが、その理由は単にあのネームの多さで物理的に時間が取られるから、というだけでなく、作品の根底に流れている「客体化」の姿勢が自己同一化を常に阻む方向に作用しているから、なのだろう。そもそもギャグというのは客体化するからこそ成り立つものではなかったか。ときどき哲学ネタを用いる、という点でも少女マンガでは珍しいが、デビュー作『たじろぎの因数分解』を見ても、既に哲学ネタを感情移入を阻む方向で取り込んでいるのであった。そんな川原泉が最も本領を発揮するのは、初めからギャグ然としたギャグではなく、大きなストーリーを一見真面目に語ろうとしているかのように見える作品において、だろう。『ゲートボール殺人事件』は推理ものだが、ストーリー的にはどうでもいいような細部のずれ感覚が本来の推理ものの持つサスペンス性を上回ってしまっているし、この『銀のロマンティック・わはは』も、フィギュア・スケートのペアのスポ根ものの枠を借りながらその実はスポ根の熱血からはほど遠い地点に読者をいざなう。途中、愛犬ポチがいきなりご恩返しに4回転ジャンプをやってみせて2人に重要なヒントを与える、というくだりの唐突さは、一体あれは何だったのだろう。今もって謎だ。




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