2000 9

今月の1枚
大友良英/Cathode(1999)
近年の大友良英の変貌はそれまでついてきたリスナーの多くを戸惑わせたらしい。たしかに、膨大な音の情報量を高速度で処理していた、ターンテーブルを主体としたGround Zero時代までのスタイルと、最近のfilamentなどの禁欲的とも言いうるかもしれぬ方向性は対極に見える。この変化については本人もいろんな所で語っているのでここでは繰り返さないが、禁欲的といっても、音響の情報量自体はそんなに変わったとは思わなくて、より正確には音の意味性を排除する方向に向かった、と言うことだろう。むしろ、微細な音響変化の豊かさに耳をそばだてさせる現在の方が、もしかしたらより情報量は増えているのかもしれないのだ。丁度1年前、既に以前のスタイルへの関心が失われている時期の、ターンテーブルの本家マークレー(+灰野敬二)とのセッションでの彼のやりにくそうな姿を思い出す。fi lamentも初期は日本ではほとんど支持者なし状態だったらしいが、今年になって日本でのライヴも増えているところを見ると、国内の評価も変わりつつあるのだろうか。さて、この『Cathode』にはそんな大友氏の現在の関心を明確に打ち出した4作品が収められている。ここでの彼は、プレイヤーというよりもう完全に作曲家だ。一つ一つについていろいろ語りたい欲望を抑えるのは難しいが、それは諦めて、とりあえず『Modulation 』の1と2を巡って簡潔に。この2つは同じコンセプトに基づいているようだが、実際はかなり異なった結果を生んでいる。1の方は笙と正弦波の持続音を重ね合わせていて、そこで生じる音の干渉を聴き取るもの。もちろん、この路線といえば人はアルヴィン・ルシエを思い出さずにはいられないわけだが、転換期の出発点において、前例があろうがなかろうが一度コンセプトを純粋に打ち出した試みを経ておくのは意味がある。だが、更にその先の展開という意味で、2の方が僕にはより興味深い。2は1の編成にギターが加わったものだが、ギターが入ることによって、耳の関心は笙と正弦波の干渉自体よりも、ギター+正弦波の齟齬感の方に移行した。というのは、昨年『伴走-齟齬』という作品を作った僕自身の関心から来る偏向だろうか?本来音楽の素材にはなり得ないはずの超高音域の即物的な電子音と艶やかなアコギの音色が溶け合うわけもなく、笙も加わっての音響空間は美しいと同時に引き裂かれてもいる。この方向は更にニュー・ジャズ・クインテットでも追求されていて、今後の展開に期待。

今月の展覧会
石川順恵(〜10月7日、銀座・南天子画廊)
80年代の具象の復興運動とその後の揺り戻しとしての抽象復興運動の後、今や具象画でも抽象画でもどちらでもよくなってしまったという状況は、「問題」が解決したからではいささかもなくて、美術に関わる誰もがもうこの手の論議に疲れ、どうでもよくなってしまったからなのではないか、と睨んでいるのだが、例えば写真やヴィデオや言語や、その他の媒体の力を借りることもなく、純粋に平面絵画という枠内で黙々と仕事を続け、なおかつ既視感からかろうじて脱したものを作り上げる作業は、ますます困難なものになりつつあるようだ。これが岡崎乾二郎であれば、平面絵画に「関係性」の概念を密かに忍び込ませることでそれを実現し、わからない奴にはわからないだろうと一人ニヤリとしている図などが思い浮かぶのだが、では、石川順恵の場合はどうか。彼女の場合は、何らかのチャンス的なアプローチによっているように見えもする、それだけで十分視覚的に多様な意味生成を喚起する、曖昧に移ろう色彩の無重力空間があって、そこに輪郭のクリアな、何とも言えないぎこちない線、あるいは細長い針金をギクシャクと折り曲げたかのような色面が乗せられる、というのがここ数年の中心的なスタイルだろう。ここでは、線状の形態と色彩空間とははっきりと次元を異にしていて、画面が一つの全体ではなく、前景と後景というか、異なる複数の層の並置、のような様相を呈している。もちろん、見る側は複数の層を一括して一つの統一された全体として認識しようと無意識のうちに調整するわけだが、あえてバランスの悪い色の塊をバランスの悪い位置に配するなど、統一された全体像を作るまいという作家の抵抗も負けてはいない。今回の新作展では、絵の具に砂を混ぜた、明らかに質感の異なったザラザラした色面がところどころに配され、そこだけは「塗った」というよりは何か被せてあったものを「剥がした」かのようなテクスチュアになっている。はたして統一された全体は成立したのかしなかったのか。

今月の1本
女囚さそり・701号怨み節(1973東映、長谷部安春監督)
梶芽衣子といえば『女囚さそり』シリーズで、その監督といえば伊藤俊也というのが一般的な認識だろう。たしかに、その第1作目にして伊藤俊也のデビュー作でもある『女囚701号・さそり』に賭けた伊藤俊也の熱意は並々ならぬものがあり、既にして映像美に凝りまくる資質が発揮されていたという記憶があるのだが、伊藤演出の梶芽衣子はあまりにも人格的にキレまくっていてそもそも目つきがイッちゃってて怖いし、何作目だったか、もぎ取った男の腕を野獣のようにガシガシ喰らう場面など、石井輝男も真っ青、という異様さで、一体一般の観客はあのキャラに感情移入できるのだろうかと思ったものだ。別に感情移入できなくてもいいのだけれども。そして、伊藤に代わって唯一長谷部安春が監督したこの『女囚さそり・701号怨み節』は僕に言わせればシリーズ中の最高作である。日活のハードボイルドなアクション映画作家としてデビューし、そのキャリアのほとんどをアクション映画を撮ることで築き上げてきた長谷部安春。彼の映画に湿った甘ったるい抒情などはなく、むしろ荒廃して乾ききった荒地、という情景が原風景としてあったのだが、この『701号怨み節』では雨の中の梶芽衣子のシーンに予感されたようにいつになく湿った、絶望の果ての硬派な抒情、とでも言うべき空気が支配的なのは、長谷部の映画としては意表を突かれる。薔薇の花が一瞬人工の赤に染まると人は『野獣の青春』の椿を思い出さずにはいられないが、そういえばデビュー作『俺にさわると危ないぜ』でも鈴木清順の影響がナイーブなまでにあからさまだったことなどを思い出しもする。しかし長谷部が清順の亜流だと言いたいのでは全くなくて、徐々に実存的な資質が全開して前述の乾いた風土を形作っていったのだった。梶芽衣子特集は10月27日まで銀座シネパトスにてレイトショー上映。『女囚さそり・701号怨み節』は10月4〜6日上映。

今月のマンガ
鳥獣草魚(1991、齋藤なずな)
たまたま見つけ、何の予備知識もなく読んでみたのはある予感があったからなのだが、齋藤なずなの『鳥獣草魚』は、たまに取り出しては人生の折に触れて読み返したくなるような愛すべき作品である。というわけで、この作者については何も知らないけれど、おそらくかなりの寡作なのではないかと思われる。全体の感じとして一番近いのは近藤ようこだろうが、絵柄が似ているというわけではない。近藤ようこの現代ものに通じるような、人生のある一断面をこの上なく繊細な手つきでそっと切り取ってきて、控えめにただ淡々とそこに置くだけ、というようなあり方において。そして、何でもない日常の一断面が精神的な次元において突如として一大スペクタクルに転じるのを目撃する時、淡々とした日常の時間が実は真に劇的な瞬間を内にはらんでいるのだということを我々は瞬時に理解するのだ。人生を観想する視線が近藤ようこに近いとでも言えばいいのだろうか。ということは、これはもちろんかなり高い評価ということだ。近藤ようこにしても齋藤なずなにしても、人間を、人生を見通す高い視力がなければこういった作品をものすことはおよそ不可能だろう。不倫関係で相手の男の家庭が崩壊することをついつい願ってしまった自分の姿に気づいた時、見つめていた池の金魚とその水面に映る空の影がだぶり、水の底から浮かび上がり始めた自分が空を泳いでゆく金魚に重なる。その瞬間、コマは大写しになって視覚的な解放感と精神的な高揚感とがぴたりと一致する。それは、出来事としては何でもないけれど個人の内的世界においては世界が転換する瞬間なのだ。




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