2001 1

またしても遅れの記録を大幅に更新してしまいましたが、このところ掛かりっきりだった映画の作業もようやくほぼ終了。やっとこれをアップすることができました。あしからず。しかしまたすぐに次が‥‥。

今月の1枚
ジョン・コルトレーン/Interstellar Space(1967)
コルトレーンほど時代の風潮によって神のように奉られたりダサイと言われたり毀誉褒貶の振幅の大きいジャズ・ミュージシャンもそうはいまい。自分としては今格別コルトレーンに執着する気もないけれど、ある評価はきっちりしておきたいということで、ここに取り上げることと相成った。ありていに言って、コルトレーンの最も評価すべき時期はどうしても『Ascension』(1965)でフリーに突入する直前の数年で、もっと昔だとまだマイルス・バンドの丁稚みたいだし、初期の代表作『Blue Train』(1957)にしたって、普通に悪くない、という感じで60年代前半のテンションの高さと同等には語れまい。マッコイ、エルヴィン、ギャリソンらが常連として揃ってからのバンドのハイレベルでの安定は、モダールな即興の熟練と並行している。個人的にはジャズにはまるきっかけとなった『Live At The Village Vanguard』(1961)は今でも思い入れ抜きには語れないけれど、『Impressions 』『Coltrane』『Selflessness』『A Love Supreme』『Transition』あたりは心酔していた過去を隠す気もない。ところで、集団即興の大多数はゴミ、と言ったのはデレク・ベイリーだが、個性の異なる演奏家たちが単に何らの統御もなく即興を始めた場合、人数が多くなるほど互いのリスポンスが混交し合って結局聴衆の側からすればただのゴミのカオスと化す率が高まってゆくのは理の当然で、『Ascension』のコルトレーンもこの陥穽から逃れえていたかどうかは怪しい。『A Love Supreme』でも既に濃厚だった宗教的なるものへの傾斜は、フリーに突入したコルトレーンにとっての最大の依って立つ支えとなった。神との交感、といったエクスキューズによって、いつ果てるともなく続く没我のフリー即興は正当化され、迷いなくこの道を邁進した彼は神話化には最も絶妙なタイミングで天に召されてしまった。そういうわけで、全体としてはフリー以後のコルトレーンにはそうは惹かれない。ただ、最後の年の対極の2枚、この『Interstellar Space』と『Expression』だけは何としても挙げておかなくてはならない。この2枚を「躁」と「鬱」と単純に色分けすることは慎みたいが、思い込みもここまで到達すれば鬼気迫るものがあるのだ。コルトレーンの内なる宗教に関心はないが、何に対してであれ徹底的に思い込んだ精神が描く軌跡の持つ強度はお気楽な聴取を寄せつけない。後期コルトレーンのよき伴侶であったラシッド・アリのドラムとサックスだけから成る激辛のハード・コア即興。全くの自由なフリーではないが、テーマはごく短い動機にまで切りつめられ、ごくシンプルな音程、リズムだけが即興を始動させるきっかけのすべてとなっている。

今月の展覧会
細江英公(〜2月28日、田町・フォトギャラリーINTL)
このところ写真ばっかり取り上げているような気がするけれど、あくまでたまたまです。細江英公の代表作の中で被写体として選ばれた人物として、例えば三島由紀夫や土方巽、大野一雄、四谷シモンなどを思い浮かべるのは真っ当だろうが、どこにでもいそうな市井の人間一般ではなく、滅多にいなさそうな特殊な空気を身にまとった存在を選んでカメラを向け、作為的な演出、美術、照明、舞台装置の限りを尽くし、場合によっては撮影後の人工的な処理をも辞さぬ姿勢によって完成される細江英公の作品は極めて演劇的なものとして我々の前に現れる。それがわざたらしいものにならないためには、被写体自体に、演出負けしないくらいの強い演劇性がアプリオリに備わっている必要があるだろう。それが本人の地なのか周囲に向けての演技なのかどうかは、差し当たり問題ではない。いやむしろ、ある種のあざとい「フリ」の匂いがほのかに漂っているくらいの方が細江英公の演劇的演出にとっては好ましいくらいなのかもしれない。その意味で、上の被写体たちの中でも最も絶妙なスタンスで被写体になりきっているのはやはり三島由紀夫だろう。今回INTLで見ることのできる『薔薇刑』(1961)は写真家にすべてを委ねた三島を好きなように料理して撮った作品だが、ボディビルで無理して鍛えた三島の「逞しい」身体の屈折ぶりが、その存在のあざとさと写真演出のあざとさとの重層的アマルガムの中から見事に浮かび上がってくる。その意味で、細江自身のコメント「作家三島由紀夫を主題とした主観的ドキュメンタリー」は正確な認識であろう。だいぶ婉曲的な言い回しにも思えるけれど。それにしても、ヴィジュアル作品の中に出てくる三島由紀夫を見る経験はなぜいつもこう居心地が悪いのか。その居心地の悪さを敏感に感じ取ったが故に、増村は『からっ風野郎』で三島にいつも落ち着きなく吠えてるチンピラをやらせてしごき抜き、深作は『黒蜥蜴』でいっそ三島から動きを奪って人間剥製として登場させたのではなかったか。

今月の2本
(1)花芯の刺青・熟れた壺(1976日活、小沼勝監督)
まだ見ぬ小沼作品が小屋にかかれば亀有に駆けつける、などという日々もかつてはあった。神代や田中登と違って、小沼勝には長い間日活以外での作品というものが皆無で、去年の久々の新作『NAGISA』がおそらくその最初の一本ということになったのだろうが、たしか修羅場の時期だったがために未見。SMでもポルノでもない小沼作品の演出は一体どんなものになったことやら気にかかる。一般の認識では小沼勝は日活ロマンポルノにおけるSMものの第一人者、ということで、特に谷ナオミとのコンビ作が名高い。たしかにこのコンビの作品はどれも再見に値するが、1979年に谷ナオミが引退してしまってからは小沼映画のヒロイン不在の時代が始まった。50年代から60年代にかけての大映時代劇でいつも純情娘として登場していた高田三和が、『軽井沢夫人』(1982)でいきなり妖艶な熟女となってスクリーンに現れるのを目撃するインパクトはかなりのものがあるが、結局小沼映画のヒロインにはなるはずもなかったし、『妻たちの性体験・夫の目の前で、今‥‥』(1980)の風祭ゆきにも、80年代以降の小沼映画のヒロインとなるはずだった松川ナミにも結局最後までなじめなかった。あ、なじめなかったのは監督が、ではなくて僕が、ですけど。ところで女優の話は措くとして、この『熟れた壺』において、絡み合う男女と中2階で一人悶える谷ナオミを真上から同時に捉えたあの名高いショットに見られるまごうことなき小沼印の刻印を見よ。画面の中に複数の焦点を同時に導入することで、一点に視力を集中させるべき存在であるはずの性愛場面の「窃視者」としての観客は一瞬自らの居所を見失う。主体の分裂はやがて割れた鏡の欠片に反射する谷ナオミの身体として変奏される。たしか『奴隷契約書』だったか、一つフレームの中に行為する複数のカップルの姿が収められたその周りが、額縁のように無数の蝋燭によって縁取られた過剰なまでのバロック的空間はまさに小沼勝以外の何物でもない。この空間の扱いは、傑作『花と蛇』(1974)の遠景の庭の緑とフレーム前面に咲き乱れる花々の赤、といった撮り方に既にして現れていたのだった。小沼勝特集は渋谷・ユーロスペースにて3/9まで上映。
(2)日本侠花伝(1973東宝、加藤泰監督)
ついに加藤泰を取り上げることに決め、いざこうして書き始めようというだけで胸が詰まって早くも呼吸困難になりかけている有様なのだが、加藤泰に対して一体何を語ればいいのかと思うと気が遠くなる。東映で撮り続けた加藤泰作品で一番多いのは時代劇で、任侠映画は意外と多い方ではなかったが、『明治侠客伝・三代目襲名』や『緋牡丹博徒』シリーズの印象があまりに強烈だったので以前の自分にはつい任侠映画の監督という印象がついてしまっていたようだ。加藤泰映画の濃度はどれをとっても「超」のつく濃さなので、生半可な精神状態、体調では見たくない。もちろんヴィデオなんか冗談ではない。どのショット一つ取っても作家の思い入れと創意工夫が充溢し、一切の抵抗を放棄して呆然と「これが映画だ」とつぶやくしか為す術がないというのが加藤泰体験なのだ。あの一見おふざけで軽い映画に見えもする時代考証メチャクチャ時代劇『真田風雲録』でさえ、創意の濃さにいささかの手加減もない。加藤泰の映画には様々な技巧が凝らされてはいるけれど、それらが見ていて意識の前面に出てくることはなく、最終的には「人生」としか言いようのない何かのずしりと重い感触だけが残る。蓮實重彦の言を俟つまでもなく「途方もなく美しい」映画である『日本侠花伝』、開巻後ほどなくしての、真木洋子と渡哲也が列車の中で初めてすれ違う場面でのハッと一瞬渡を見上げる真木洋子の目の強度が、その後の二人の成り行きを運命づける。映画は一貫して真木洋子を中心に見据えてゆくとはいえ、何か一途な真木洋子のその「一途さ」が一体何に向けられたものなのかと考えると、男とか何か具体的な対象に向けられているのではなく、それは「人生」に対するひたむきさだということに気づく。増村的な女性映画であれば、余計な枝葉を削ぎ落としていってどこまでも求心的にテーマを絞り込んでゆくのだが、その意味で加藤泰の映画は反求心的だ。拡散的というのではない。拡散的というならそれはむしろ鈴木清順で、加藤泰を形容するなら多層的とでも言おうか。言うまでもなく「人生」とは多層的なものなので、それ全体を相手にした時映画もまた多層的なものになってゆく。




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