2001 6月
今月の展覧会
今月の2本
1997
1998
1999
2000
篠原有司男(〜7月21日、銀座・ギャラリー山口)
読売アンパンをはじめとする50〜60年代の日本の現代美術における前衛ムーヴメントの立役者の一人に篠原有司男がいる。モヒカン頭やボクシング・ペインティングで脚光を浴び、「既成の価値を壊す反・芸術」の代名詞のような存在になっていた、らしい。というのは同時代的にその熱気を体験していないからこういう表現になるのだが。その頃の彼の活動が芸術的に言ってどれほどのものだったのかはよくわからない。というのも、僕は日本の戦後の現代美術を概観するような展覧会には学生の頃からかなり足を運んできたはずだが、一番派手に脚光を浴びていた頃の彼の作品を見た記憶があまりないのだった。思うに、その時代は作品として形が残るようなことをあまりやってなかったのかもしれない。これは詳しい方の証言を伺いたいところ。僕が知る限り作品として見た中での篠原有司男の最大の達成は「花魁」シリーズで、これは60年代後半だから一番「暴れていた」時期が終わってからのものだろう。それ以後彼はニューヨークに活動の場を移し、現在に至る。一応ほぼ毎年ギャラリー山口が彼の新作展をやってくれるので、そこで今の仕事ぶりも見ることができている。近年の作品は、モチーフとして必ず出てくるバイクを中心に、ポップな阿鼻叫喚というか、ラテン的ともいいたくなるハイテンションのお祭り騒ぎ的乗りの具象作品で安定している。ところで数年前たまたま篠原氏に画廊で声をかけられ話をしてしまったのだが、彼の言うには、「ニューヨークの美術界で生き延びてゆくためには自分のワザを持っていないとならない。リキテンシュタインのコミックしかり、シュナーベルの皿しかり。で、自分のワザは『スピード感』なのだ」ということだった。「スピード感」がワザなのかどうかという突っ込みはおいといて、彼の言いたいことはよくわかった。とにかくハイテンションなものを作りたいというのは作品を見てもそうなっているし、バイク好きもこの嗜好とつながっているわけだろう。もうモヒカン頭ではないけれど、「決して枯れた境地などには至るまい」という意思表明にはエールを送りたい。今の篠原有司男で何が凄いといって、ボクシング・ペインティングをいまだに続けているという事実、まだ未見なのがいかにも悔やまれるが、これは本当に凄い。若いときに体力に任せてやっちゃうのはわかる。だが、70にも手が届こうという人が老人の身体で息を切らせながらキャンバスに向かってパンチを繰り出す姿は、おそらく本人の意図しているところとは全く別の次元で凄絶な表現世界を指し示しているはずだ。あるいは確信犯なのだろうか?
(1)さすらいの二人(1974イタリア/フランス/スペイン、ミケランジェロ・アントニオーニ監督)
文字通り『さすらい』という映画も撮っているアントニオーニのすべての映画は「さすらい」なのかもしれないし、『ある女の存在証明』ではないが彼のすべての映画は「存在証明」しようとして叶わない「不在証明」の軌跡なのかもしれぬ。同じように「さすらい」の作家であったヴェンダースが『愛のめぐりあい』でアントニオーニを支えたのも当然といえば当然の結びつきだった。70年代のヴェンダースの作品群はいうまでもなく、例えばベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)にも流れているこのよるべなき「不在証明」の感覚は、マリア・シュナイダーという女優の身体を通じて『さすらいの二人』にも通底する。いわば、アントニオーニ本人の映画でなくともアントニオーニ的な映画群というのがこの時代には存在していて、これは時代がアントニオーニと一致していたということなのだろうか。この作品では制作のあらゆる要素が完璧な仕事の達成ぶりを示している。シュナイダーやニコルソンは言うまでもなく、ロケ地の選択も捉えられた光も見事という他ないが、いま、紙面の限られたこの場では音響/音楽にスポットを当てたい。初めて見た時は何やら機材のトラブルでもあったのかと一瞬疑った、冒頭のアラブでのシーンから、ずっとかすかなドローンのように響いていたノイズ。虫の羽音にも砂の音にも思えたそれは全くもって非・音楽的な、極めて即物的な響きで画面に少しずつ亀裂を入れていた。何も場面が砂漠だから言うのではないが、常に砂を噛むような違和感が底に澱のように沈殿している状態の持続。あるいは二人が並木道をオープンカーで疾走するシーンでの風の音。これは単に風の音であって風の音ではなかった。物質としての風の音をただ提示しながら、そこに二人の「不在証明」が音響と表裏一体となって貼り付いてはいなかったか。ラストの名高い長回しシーンの終わりで、物質的な音響ではなく官能的なギターが入ってくる時、薄暗くなった夕景に灯る街頭の光。これほど音と光と色彩とが有機的に反応し合っている映画もそうはあるまいと思う。物語的には幸福な、とは言い難い映画だが、その諸要素の見事な結合ぶりの中に身を埋める体験は「幸福な」としか言いようがない。7月19日、20日、池袋・新文芸坐にて上映。
(2)お国と五平(1952東宝、成瀬巳喜男監督)
これは成瀬巳喜男の数少ない時代劇の一つ。「生活感のある時代劇を作ってみたかった」と監督が抱負を語っていたらしいが、敵討ちで当てのない旅を続ける話にはたして生活感を期待できるものかどうかという疑問が根本的に湧きもする。しかし、まあそんなことはどうでもよろしい。不当に評価が低く失敗作という烙印さえ押されているらしいこの傑作をまずは断固として擁護し支持声明を発するためにこの文章は書かれるのだ。それにしても、通常の敵討ちの物語とはこの作品全体の方向性はあまりにも異なっている。そもそも原作が谷崎なのだから、単なる、主君(この場合は夫だが)への操を貫くために忍苦の年月を堪え忍び全国行脚の旅を続けついに敵と遭遇、そして本願を遂げる、などというカタルシスの物語になるわけもないのだ。お国の付き人として旅を続ける五平はお国にひたすら忠誠を誓い献身的に尽くす男だが、この二人に『春琴抄』の春琴と佐助を重ねて見ずにいることはできない。佐助も五平もマッチョとは正反対の女性的なキャラクターで、この作品の一つの軸は初めは主人と付き人であった二人がともに旅を続けてゆくうちに恋人の関係へと変化してゆくところにある。故人への忠誠や故郷の人々への建前のために、二人の幸せを諦めてまで敵討ちの旅を続ける生活への疑問が膨らんでゆく。そして夫の敵である友之丞がまた、敵討ち物語史上こんな優柔不断な情けないキャラはなかっただろうと思うしかない男なのだ。かつてお国と恋人だったこともあるこの男は、お国が夫の敵として自分を追っていることを知っていて逃げつつも、未練を断ち切れずにお国に密かにくっついて回るという矛盾した行動を取っている優柔不断な奴で、いよいよ敵として対面する時に、夫への操を立てて敵探しの旅を続けてきたお国と五平が既にデキている矛盾をなじりながら情けなく斬られてゆく。つまり、この映画の中には通常なら「敵討ち」という形態に付き物であるはずの「主人への操」も「悪役然としていて手強い敵」も「本懐を遂げるまでの一途さ」もなく、それらはみな機能不全の状態で宙に浮いており、その辺がもしかすると不評の原因だったのかもしれない。しかし、女々しい西部劇である『大砂塵』がそれが故に強い吸引力でこちらを捉えて放さないのと同様に、女々しい時代劇であるこの『お国と五平』もまたこちらを生涯放してくれそうにない。7/25〜7/28、ラピュタ阿佐ヶ谷にて上映。
1996
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