2001 12月
今月の展覧会
今月の1本
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1998
1999
2000
サム・テイラー・ウッド(〜3月17日、銀座・資生堂ギャラリー)
サム・テイラー・ウッドの評価は近年急速に高まっているらしい。僕の場合、昨年運よくパリでも初めてという彼女の個展を見ることができ、その時の強い印象がまだ冷めやらぬうちに今回の東京での個展を見る運びとなった。パリで見た時に、ヒステリーで絶叫する女性を撮ったヴィデオ作品を前にどうも以前に東京のどこかで見た気がして仕方がなく、それがいつのどこだったのか今もって思い出せないのだが、おそらくそれが初めて彼女の作品を見た瞬間だったのは確かなようだ。彼女は一つのスタイルに拘泥することなく関心を持った様々なツールを作品に取り込んでゆくが、基本は写真ということになるのだろう。「独白」と題されたシリーズがパリの時も今回の展覧会でも主軸になっている。このシリーズの基本は作品の独特の構成にある。まず上部に大きく人物写真が一枚あって、その下に横長の全く別の写真がくっつけられている。この二つの写真の間には直接の関連性は見出し難いが、関係あるように思えばそう見えなくもない気がしてくる。それぞれの写真には共通の特徴がある。まず上部のでかい写真だが、ここに写されている人物は、大体思い悩み、あるいは瞑想し、あるいは眠って夢を見、というように自分の内面を見つめる所作に没頭している。それに対し、下の横長の写真はおそらくコンピューターによる合成で、一連の風景がいささか歪んだ遠近感覚で一つながりに捉えられている。この下の写真だけ見るとやなぎみわの作品の舞台となる合成空間と似ているのは否めない、その奇妙な浮遊した現実感覚も含めて。その極端な横長という特性もあって、下の写真は一人の人物を大きく捉えることはなく、様々な風景や人物たちのロング・ショットになっていて、しかもその人物たちはなぜか裸だったり何をしているのか意味不明だったりと、現実離れしている。この二つのイメージをどう結びつけるかは見る者に委ねられているわけだが、ごく一般的に言えば上の人物が見る夢、幻想、または願望などが下の写真のイメージに投影されているということになるのだろう。複数の写真を並置してそこで衝突し合うイメージで見せるやり方は今や珍しくないが、サム・テイラー・ウッドの場合はそれぞれの写真のスタイル、指し示す世界の落差が非常に挑発的な現れ方をしていて興味は尽きない。なお既に指摘されていることではあるが、彼女のこの構成法がルネサンスの祭壇画の構成からインスピレーションを得ていることは間違いあるまい。
追跡(1947アメリカ、ラオール・ウォルシュ監督)
ウォルシュの傑作である『追跡』は、屈折したやりきれなさを内に抱え込んでいるという点でもフィルム・ノワールの条件を備えている。主人公のロバート・ミッチャムは子どもの頃から誰かに追われているという得体の知れない感覚をずっと持って生きてきたが、謎の閃光やブーツの断片的記憶ばかりが脳裏に引っかかっているものの、それが何なのかわからない。のちにそれは幼い頃目の前で父が殺された時のトラウマだったと知るのだが、呪われた運命とトラウマはまたフィルム・ノワールにとってなじみ深い道具立てでもある。避けられぬなりゆきで、好意を抱くテレサ・ライトにも殺したいほど憎まれ、その憎しみの頂点で彼女の心のしこりは消え、あとは襲い来る外敵との闘いへと移行する。外敵と闘うだけならそれは健全なアクション映画で、フィルム・ノワールとしての頂点はその前のこのテレサ・ライトとの関係性の転換点で山場を迎えているのだ。途中の、身に覚えのないまま遠くから狙撃されるミッチャムのシーン、あそこでの顔も定かではない謎の「敵」のロングショットは彼のこの映画での居心地の悪いよるべのない実存感覚を見事に形象化しているといえよう。ウォルシュについての全体像を語るのは時期尚早だが、昔は日本にもそれなりに輸入されていたらしいのに今やとんと映画館で見れない監督になってしまっているのは残念だ。もっともこれはウォルシュに限らず昔のハリウッド映画についてはみな言えることなのだけれど。初期の『バグダットの盗賊』はダグラス・フェアバンクス主演の明朗な冒険活劇だったという記憶があり、これは間違ってもフィルム・ノワールとは言えなかったが、それよりも、のちの『白熱』や『ハイ・シェラ』の屈折ぶりの方にどうしても思い入れがいってしまう。たぶん今でもフォードやホークスやラングに比べて一段格下のように見られているであろうウォルシュだが、こうなったらフィルムセンターにはイタリア映画に続く企画としてラオール・ウォルシュ全作品上映を是非やってもらい、それが真実なのかどうか、あるいは偏見なのかどうかを確認するチャンスを作ってもらいたいところ。
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