2001 8

今月の1枚
トム・ジョンソン/Music for 88(1992)
トム・ジョンソンがジェラール・グリゼーと音楽の根本的認識で対立した話は非常に多くの示唆に富んでいる。グリゼーにとって音楽を考える基本単位は「音響」だが、ジョンソンにとっては「音」である。日本語だとかえって混乱を招くので原語でいうならば、それはsoundとnoteの対立ということになる。グリゼーにとっては、個々の音は最終目的である音響を成立せしめるために組み合わされる素材で、それ自体ではまだ音楽以前の何物かにすぎない。この発想はいうまでもなくリゲティを初めとするクラスター音楽から受け継がれてきたもので、文字通りクラスター音楽でなくとも、今のヨーロッパの前衛音楽は大部分この前提の上に成立しているはずだ。一方、ジョンソンのいう「音」=note とは、例えば四分音符でありト音記号の第3間のCである。これらの音はこれ自体で既に独立した一つの存在で、もっと上位レベルの音響の中に統合されるための煉瓦の一つではない。音響は、音を操作した結果として生じるものにすぎない。グリゼーとジョンソン、それぞれの音楽を思い浮かべてみればsoundとnoteの意味が明確にわかるはずだ。この話を聞いた時、自分は明らかにnoteの作曲家だと即座に思った。と同時に、かねてから疑問だった、なぜ自分が音を装飾するのが嫌いなのかという謎も氷解した。装飾とは、結果としての音響を前提とした時に初めて可能になる営為なのであり、noteを基準にするならばそれはnote一つ一つの独立性を混乱させる邪魔ものでしかない。ジョンソンの言葉で言うならば、こうしたnote的アプローチは「代数学的」で、実際ジョンソンの作曲の発想は徹底して数学的、記号論的である。スペクトル学派だってある意味数学的ではあるのだが、それはむしろ記号論的というよりも物理学的というべきだろう。例えば数学において、数字はすべての出発点であり、この基本単位の成り立ちが疑われ出すと話が先に進まなくなる。ジョンソンの場合、まずある記号変換のシステムがあって、そこで抽象的に記号の操作が行われ、出てきた結果にnoteが「代入」されてゆく。この姿勢の徹底ぶりはなかなかのものだ。結果としての響きがどうということよりも、そのシステムの閉じた整合性が完遂されることこそが美しい。彼を最もソル・ルウィット的な作曲家と呼びたい。それにしても不思議なのは、こういうアプローチをする人がなぜパリに住み続けているのかということだ。彼はバスチーユの近くの一角にもう18年間住んでいるとはいえ、あのパリの音楽状況の中で彼の音楽が受け入れられるとは到底思えないのだが、そのことについては聞きそびれてしまった。
(Tom Johnson/Music for 88 / XI 106)

今月の展覧会
(1)赤瀬川原平(〜10月14日、谷中・SCAI THE BATHHOUSE)
60年代、ハイレッドセンターの頃は芸術の理念を攪乱することに生き甲斐を見出していた3人も、その後それぞれ全く別々の方向へと散っていった。彫琢された作品世界の中に表現のすべてを注ぎ込むという、最も古典的な意味での芸術家に回帰したのは中西夏之で、顔に白粉を塗って山手線の中でパフォーマンスを敢行していた頃の彼の活動と今の活動との間に共通性を見出すのは難しい。高松次郎も基本的には作品至上主義だが、ハイレッドセンターの頃と70年代以降の彼の作品との間にはあまり亀裂を感じない。もともと、60年代でも高松次郎のコンセプチュアルな作品群には、勢いで何かやっちゃえ的なノリよりはもっと冷静な、というか、美術史の延長としてのコンセプチュアル・アートを実践するという姿勢が感じられた。たしか晩年に影のシリーズをリメイクしていたような気がするが、基本的に彼は変わらなかったのだと思う。さて、では、今回の主役である赤瀬川原平はといえば、昔も今も最もいわゆる「芸術」から遠く離れたところで活動を続けてきた、その意味では彼も変わらなかったといえる。小説の方は読んでないので、どれだけ「芸術」してるのかは知らないけれど。それにしても、「千円札」といい「トマソン」といい、赤瀬川の営みはなぜかいつも芸術の定義を問題化する方向で為されてきた。高松の方は、「影」といい「遠近法の椅子」といい、むしろもっと純粋に知覚上の攪乱に重きが置かれ、赤瀬川の認識の転換に対する関心とは全く異なっていて、つまり、赤瀬川原平こそこの3人の中で最も真性のコンセプチュアル・アーティストだといえるのだろうが、赤瀬川自身はこう言われることに違和感を覚えるかもしれない。他の世界中のコンセプチュアル・アーティストと比べての彼の姿勢の特徴は、切り口が全然高踏的でないことで、むしろ積極的に通俗たることで現代美術の一般社会との乖離を飛び越えたのだともいえる。本人はもしかすると現代美術をやっているつもりも全くないかもしれないし、我々もふと、実際彼はやっていないのかもしれないという気になってくる。どこかで読んだ回想によると、千円札裁判の時、それまでは「これは芸術ではない」と主張していたのに、法廷では弁護の必要から「これは芸術だ」になって、この日ほど「芸術」という言葉が安売りされて飛び交った日はなかった、ということだが、アイロニカルななりゆきで「芸術」が意外な相貌を現す、というのが赤瀬川的作品(というより「現象」か)の真骨頂なのだろう。しかし、アイロニカルといってもそれは結果的にそうなるというだけのことで、本人は常にユーモアと遊び心を忘れることのない自然体の存在であるのに違いない。
(2)森村泰昌(〜9月30日、品川・原美術館)
現在、ポップな味わいの日本の美術作家のまとまった規模の展覧会が東京周辺でなぜか複数催されていて、これは何かの含みなのだろうかとも思うが、よくわからない。森村が最も話題になる日本の現役美術作家の一人であることは確かだろうし、その創作に賭ける徹底したパワーはやはり大したものだといわざるを得ない。かねてからの彼のやり方は、美術史上の誰かの作品の中にCGも駆使して仮装した森村本人が入り込む、というものだったが、今回はそれがメキシコの作家フリーダ・カーロで実践された。なぜフリーダ・カーロなのかというのが寡聞にしてよくわからないのではあるが、そこに別に理由はいらないのだともし言われれば、それはそうだ。カーロが好きだから、で十分であるには違いない。ところで、ここでカーロの中の人物になり切ってこちらを見つめている森村の姿、それを見つめる自分、というこの状況は何か途方もなく脱力する間の抜けた事態だとふと思い至る。同じく作品の中に自分が入り込んでいたシンディ・シャーマンの作品に向かう時にはこういう脱力感はなかった。それは、シャーマンが、いろいろ変身していると言っても何かせっぱつまったおぞましいまでの緊張感を身にまとっていたからで、一方森村の方にはそういったシリアスさはなく、本人の顔が大真面目であればあるほど何か間の抜けたばつの悪い思いに駆られもする。森村作品の緊張感があるとすれば、それは、こんな間の抜けたことを飽くことなく、かつ細心の注意と膨大な労力を使ってやり続ける、というその異常な情熱がどこから来るのかわからないという不気味さ故だろう。その意味では、彼の表現は実は一つの作品で成立しているものではなく、その理由不明の異常な情熱を維持する森村泰昌その人、という、何十年もかけた一つの長いパフォーマンスなのかもしれない。そういえば6年前の「批評空間」の「モダニズムのハード・コア」の鼎談の中で森村がさんざんこきおろされていて、磯崎新だけが何とか擁護しようとするものの旗色が悪い、という場面を思い出したが、浅田の言うアブジェクションは、「東洋人の笑うべき身体」で西洋絵画の中に入り込むことに自覚的であるはずの森村の営為の中から染み出てはいまいか。単に西洋絵画の中に剰余のない透明な存在として入り込めるなどとは本人も初めから思っていないはずで、いわば森村は非西欧と西欧とを重ね合わせることでそこから現れ出るずれをアブジェクションとして提示しようとしている、といえば穿ちすぎだろうか。それが西洋から見た時にPCとして評定されるのは確かだ。ただ、今回は入り込んだ対象が西洋名画ではないフリーダ・カーロなので、そこにはまた以前とは異なった距離感が生まれているのだが。

今月の1本
千と千尋の神隠し(2001東宝、宮崎駿監督)
宮崎駿が初めてその作家性をわれわれの前に全面的に開示したのは『未来少年コナン』からだろうが、日本で60〜70年代にテレビアニメを見て育ってきた者ならば、『コナン』の絵柄に既視感を感じはしなかっただろうか。彼が監督ではなくとも、一アニメーターとしてであれ関わってきたテレビアニメは少なくない。高校ぐらいまでかなりテレビ・アニメ少年だった者にとって、その絵柄がなじみがあったのは当然だった。今最も見返したいアニメの一つである『ハッスルパンチ』はもはやかなりのうろ覚えで、彼が監修したわけではないけれど、絵柄、というよりはスピーディーな展開、ノリのいいテンポ感は後の宮崎を知った後で思えばなるほど彼が参加しただけのことはあったと何か納得させられるものがある。『アルプスの少女ハイジ』のオープニングでハイジがブランコを漕いでいて、一見何気ないシーンなのにあそこの躍動感にはいつも子供心を揺さぶられていたのは、今見直すとブランコの運動に合わせて視点を絶妙に上下させ、それがブランコの運動と相俟って自らがブランコに揺られているかのような眩暈を作り出しているからだった。こういう運動性に対する野性的な感覚の抜群の冴えは例えば高畑勲には絶対になく、従って高畑アニメはスタティックなままテーマ性に依った作品作りへと向かう。さて、今回の『千と千尋の神隠し』はといえば、これはもう軽やかなまでに動画の快楽を謳歌した作品になっているが、単に絵的な面白さのみで成立しているというのではない。細部の一つ一つがまた不可視の別の通路へとどこまでもつながってゆくかのような、象徴性と意味性が交錯した過剰なまでに豊かな全体を形作っているという点がすばらしいのだ。いわばこの映画全体が一つのでかい油屋であるかのように。ここではもはやテーマと画面の二項対立なども既に無効化してしまっている。また、食べることと吐くことにここまで彼がこだわったことはかつてなかった。ベクトルは逆とはいえ、それはどちらも身体の内部と外部とを往き来させる行為であり、ここでいう身体は更に拡大されて油屋の内部と外部の行き来のアナロジーになっている。例えば外部から油屋に入ってくる「異物」としてのオクサレサマやカオナシ(千尋も最初は「異物」だった)、油屋と外部とを行き来するハク(=吐く)、そして千尋もやがて電車に乗って出てゆくことになるだろう。ハクの体内に入った悪しきものを吐かせるために千尋が苦団子(?)を食わせるのは、千尋がオクサレサマや凶暴化したカオナシを鎮め、油屋の外に帰らせる行為と相似形を形作る。前作に続いて日本テイストが基本色といっても、『もののけ姫』が純中世日本志向だったのに比べ、今回の方はアジアが入り込んだ猥雑な日本で、それは例えば空の青や海の青が、亜熱帯を連想させる緑が入ったエメラルド・ブルーであることによっても感じ取れる。これでもう長編は終わり、という作者の談は、『もののけ姫』の時と同じく大作をものした直後の一時的な脱力状態が言わせた言辞に過ぎまい。いや、そうに決まっている。




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