2001 11月
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リュック・フェラーリ日本零年(2002年1月26,27日、北区滝野川会館大ホール)
ふと思うにこのところフェラーリ原稿ばかり書いている自分がいて、もうこの際あと一つ増えたところで今さらどうということもなかろうという開き直り+折角フェラーリ・モードになっているのだからこのまま突っ走った方がネタを考える苦労がない分ラクであろうという見込み、などもあって、ここでも臆面もなくフェラーリ・ネタで書いてしまうということに相成った。つい先日、やっと1月末のフェラーリ特集の音楽的全貌が音として自宅で把握できる状況になり、嬉々としてそのシチュエイションに甘んじている毎日なのだが、確かに孤高の作曲家には相違あるまいが、いわゆる「孤高」のイメージについて回る峻厳で世を捨てた仙人的なイメージからフェラーリほど遠い人もいるまいと思う。フェラーリがいかに世を「捨ててはいない」かは、今回のプログラムでも読むことのできる文章のいくつかからも伺い知ることができるだろうからここではあえて触れないが、いわゆる「社会参加」型の作曲家としてよく名前の挙がる面々の誰とも彼は似ていない。そういうタイプの音楽に接して常に浮上する疑問は、テキストのレベルでのメッセージ性と音楽それ自体との乖離をどうしてくれるのだ、という点に集約される。具体的にいえば、誰かも書いていたように、ノーノが工場労働者の側に立って作った作品を、当の労働者たちが聴いてはたして共鳴するだろうか、という話だが、フェラーリの場合は、具体音を具体的に用いることでまず意味性と音響との乖離を(ある程度)縮めた、ということが言えるだろう。具体音を具体的に用いるというのはつまり、シェフェールやアンリのように、具体的な現実音を切り出してきてそれを元の状況から切り離して扱うのではなく、現実音が属している環境や状況もまるごと切り出して持ってきてしまう、という行き方のことを指している。これが、自ら録音機とマイクを携え各地を駆けめぐって環境音や人々のインタビューを録音し、それを元にラジオやテレビのルポルタージュ、ドキュメンタリーを多数制作してきたフェラーリ自身の体験から必然的に導き出された「現実把握の方法」なのだ。仕事としては彼は元々シリアスにルポルタージュを制作していたのだろうが、やがてある時、その現実音の中に「嘘の現実音」や「抽象的な音」を混ぜ合わせることで、もう一つの架空の「現実体験」を作れることに気がついた。それは従来の音楽の定義をはみ出るものかもしれないが、そこにある独自な「時間体験」が生成されるのならば、それを拒む理由はない。「それが音楽かどうかはどうでもいい。」こういう姿勢が古来音楽の境界を拡張してきたのは歴史が証明する通りであろう。
北島敬三(〜2002年2月3日、川崎市民ミュージアム)
北島敬三を何となく認知するようになったのは、10年くらい前に見た、世界各地の大都市の高層ビルとその間を走る高速道路の無機的な風景を撮ったシリーズからだったと思う。最初は、一体これらの写真が何を意図して写されているのかわからなかった。確かに、現代都市特有の、ガラスと鉄筋とコンクリートから成るシャープな形態を持ったビルの数々からできている景観の美というものはあるけれど、その「美」自体を撮りたいわけでもなさそうだった。もしそれが目的なら、例えばもっと鋭角的なアングルで幾何学的なラインを強調するなどの選択もあったはずなのに、どこの都市を撮ってもいつも同じく離れた立ち位置からのいかにも思い入れなさそうな撮り方で一貫していて、作者の焦点が見定められなかったのを思い出した。そして今回の個展では、一転して人物写真である。このシリーズでは、人物はすべて白い上着姿の無表情、上半身の正面ショットで統一されている。同じ人物の写真が何枚も撮られるが、髪型が一つ一つ違う他はとりたてて差異はない。時間をおいての一人の人物の変化の記録でもなく、おそらくほぼ一気に撮られているものと思われる。こういった条件で撮られる写真といえば、一番近いのは証明写真だろう。本人であるとわかることだけがその写真の存在意義で、その他の余計な要素は一切排除される。ここに至り、北島敬三の関心は個々の対象にではなく、諸条件をどこまでも同一にした時に見えてくる個々の風景や人物間の同質性と差異にあるということに気づく。スタンスとしてはベッヒャー夫妻の作品に近いといえようか。写真において差異性が揺らぐのは、「この対象」を「この瞬間」に生け捕ることが本命の写真の存在基盤を揺るがさずにはおかない。ここで唐突に、去年バッファローの高速道路を友人の運転する車に乗って走った時のことを思い出した。交通標示の言語を除けば、世界のどこを走ってもフロントガラスから見える道路の風景は全く同じだ、と二人で笑い合ったものだ。あの瞬間にも、自分たちが今どこにいるのか、という前提が一瞬揺らいだっけ。
本当に若い娘(1976フランス、カトリーヌ・ブレイヤ監督)
ブレイヤの映画をそんなに見ているとはいえないけれど、彼女のようなタイプの監督は存在して然るべきだし、むしろこれまで出会わなかったのが不思議なくらいではある。ここでごく一般的なブレイヤの認知のされ方をなぞってみると、女性の側から「性」を真っ向からテーマに据えた作品を作り続けている小説家、映画監督ということで、当然のように彼女の作品の中には大胆な性描写が溢れ返ることになる。『ロマンスX』(1998)が世界的に評価されたことが引き金となって今や過去の作品も遡って再評価の気運が高まっているらしい。このデビュー作『本当に若い娘』もそんな流れの中で発掘され、撮られてから24年ぶりにやっと初めて公開されたといういわくつきの映画だが、これを見るとこの映画が70年代に忽然と登場した時いかに衝撃的だったかわかるような気もする。「健全」な人々(男たち?)は我先にこの映画をおぞましいものとして永遠に封印しようと努めたに違いない。20年以上もの時を隔てたこの2本を並べてみても、ブレイヤの世界に対する姿勢にはいささかの揺らぎもない。確かに、これまで男性の価値観によって一方的に形成されてきた性意識に対してのアンチテーゼ、という側面はあるし、フェミニズムの文脈で彼女を語ることもあながち的外れともいえないが、ブレイヤの志はプロパガンダという、時として必要ではあるけれど表現としては初歩的な段階をはるかに越えた地点を見据えているのだ。かなりの割合を占める性的な描写は極めて即物的で、時としてグロテスクですらあるが、むしろ甘ったるく愛だの恋だのを謳わせることを断固拒否することで、その性のオブジェ化の果てにひときわ気高い精神的な段階にまで到達する。彼女の作品を一貫して貫いているのは、一見逆に見えるかもしれないが、実はある一途さ、純粋さの感覚なのだ。初めに、こういうタイプにこれまで出会わなかった、と書いたが、話を映画以外にも向ければ、実は既に我々はこういう女性作家を何人も知っている。80年代以降の内田春菊や岡崎京子から南Q太、やまだないとに至る一群の女流マンガ家の流れがまさにそれで、それらの作品群によって既に免疫ができていたせいか、僕自身はブレイヤ映画には初めから拒否反応は全くなかった。あるいは単に鈍いだけなのかもしれないが。渋谷、シネマ・ソサエティにて1月11日まで上映。
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