> >>> そろそろジャンルはジャンルとして成り立たない時代になってきてい
るのでしょうか?
> >> そもそも、ジャンルというのは、音楽を分類するためのものではなく、
> >> ディスクという商品を店のどの棚に並べるかのためのものなのでは?
> > その商品を並べるのは我々のためでもあったはずです
> いずれにしても、*便宜*であって*本質*ではないと思います。
私が言っているのは私の便宜として成り立たないという事です
ジャンルが元々音楽の本質であるかどうかは考えてもいませんでした
> 初演作品が中心の現代音楽コンサートでは、全曲の演奏が終わるまで
> 作曲者名以外は曲順も含めて公開しない、というような試みを行って
> みるのも、面白いのではないかと思います(作曲者名すら事前に公開
> しないのでは、いくらなんでもお客さんは来ないと思いますが....)
逆にそういうパフォーマンスに惹かれて来るかもしれませんよ、、
> >>> さらに、ジャンルどころか同じ音楽家の作品でもだめなものと
> >>> 良い物があったりして、もう終わりですね。
> >> それは当たり前なのでは?「典型的なロック」や
> >> 「典型的なジャズ」の音楽家だってそうでしょ?
> > という事はやはり、価値は絶えず自分の中にしか
> > 存在しないのではないでしょうか?
> いやいや、価値は*個々の作品(のさらに個々の演奏)*
> の中に存在するのであって、この音楽家の作品/演奏なら
> いつでもいい、なんてことは有り得ないはずだということ。
うーん、言ってる事が同じであるような、、
結局、哲学みたいになってしまうのですが、、
価値とは人間が作り出した言葉、、
とすると人間が作らなければ価値という言葉は存在しない、
人間が価値を認めなければ作品そのものに価値が存在するわけがありません
と、言う事を言いたかったのです
> >>> それに、レーベルがノージャンルとして売り出す
> >>> 事はかなり難しいと聞きます(倒産する)。
> >> それは、《レコード屋が置いてくれない》からでしょう。
> > 固定ファンがつきにくいからでもあります
> ただそれは、現在のレコード店の陳列システムが、ジャンルを
> 第一検索キーにしているからにすぎません。アーティスト名が
> 第一検索キーになれば、こういう問題はなくなるでしょう。
レコード店のみならず、音楽ファンにもあてはまるのではないでしょうか
> # メジャーどころを中心に聴いている人々は、*冒険*なんて
> # あまりしないだろうから、実はこのシステムの方が便利なの
> # ではないか?と時々思います。
> >>> ジャンル意外で良い音楽をみつけるための方法はありませんか?
> >> 「好きな音楽家が選んだ共演者をイモヅル式にたどっていく」
> >> というのはどうでしょうか。
> > 余談ですが、モトリークルー>ニルバーナ>ソニックユース>
> > ヤマツカEYE>ジョンゾーン>メシアンというとんでもない形式でやっ
て
> > きた人がいます。なぜこのような図式ができてしまうのでしょうか?
> ジョンのところまではわかるのですが、最後にメシアンに行くのが謎です。
> 『グラン・ギニョール』でメシアンの曲をカヴァーしていたのだろうか?
僕は知りませんが、その人いわく、好きな音楽家として紹介していたそうです
> > 僕にとってメシアンは個人的に神聖な場所なのです。
> 私は、メシアンの作品は30曲くらい聴きましたが、ついに何がいい
> のかわかりませんでした。町田さんにとっての彼の魅力は何ですか?
僕の記憶に存在する彼に関する事(音楽以外も含め、それは僕の個人的な生活ま
で)
全てです、こう言うことしかできません、そういう物でしょう
逆に説明できる物は僕にとってあまり魅力的ではありません
しかし、野々村さんがメシアンを好きになれないのも理解できます、
なぜなら僕ではないからです
しかし、野々村さんの30曲という考え方は理解できません
僕は判定機械ではなく、人間なのです
1曲1曲聴くのは不自然でもあります
> > モトリークルーいいよネ。といっていた人が、
> > ああメシアンネ。大人ではない僕は不愉快です。
> で、その人は、今でもモトリー・クルーをいいと思っているのでしょうか?
> 私にだって、さだまさしが好きだったという恥ずかしい過去がありますが。
さだまさし?いいじゃないですか、
モトリークルーとさだまさしでは全く違うのでは?
−音楽から音楽を好きになる人−
好感が持てます
−外見から外見を好きになる人−
持てません、、
> > これは純粋な音楽問題ではないのですが、
> > 僕はどこかに情報的にも隔離されたユートピア
> > みたいな物を求めている一面もあるからであります。
> 「オアシスは、あまり多くの人が踏み込むと荒れてしまう」
> のでしょうか?荒れるのは、所詮その程度の器だったから、
> という気もしますけどね。例えば、矢野顕子が世界中で
> マライア・キャリー並みに売れても、彼女はマドンナ
> みたいにはならないはずだと私は思っていますが。
純粋な音楽だけが音楽の魅力ではありません、、
その音楽に対して抱く幻想、回想、妄想、、
全てがその音楽の魅力なのです、