> >> しかし、「無前提の公理」をいったんある程度認めれば、その
> >> 土俵の上での《価値》は、ある程度*客観的*に議論できます。
> >> もちろん、その《公理》を決めたのは人間にすぎないのですが、
> >> 数学の*客観性*だって、それ以上のものではないわけで....
> > その土俵は一部の人の妄想以上のものではありません、
> > 僕はその土俵を完全に否定しているのではなくて、
> > 過信しすぎると、つまらない方向に行ってしまう
> > のではないかなあと、思っているわけです
> それは、全く同感です。ただ、完全に否定してしまうと、
> 残された*客観的な基準*は《売れ行き》だけになって
> しまうので、それはそれでやだなあ、と思っています。
その客観的基準がないという事は恐ろしく自由という事で
惹かれたりもしますが、、。
その一方でもしも、音楽的に客観的な基準がこの世に存在
していれば、音楽を作るのにどんなに楽になる事かと思います。
> >>> 純粋な音楽だけが音楽の魅力ではありません、、
> >>> その音楽に対して抱く幻想、回想、妄想、、
> >>> 全てがその音楽の魅力なのです、
> >> だったら、*外観*だっていいような気もしますが、そこが
> >> 町田さんの《絶対に譲れない一線》なのでしょうね、たぶん。
> > 鋭いですね、そうです、もちろん外観だっていいと思います
> > 外観も一つの魅力です
> > しかし、全て味わおうとがんばっている人にとって、外観
> > だけではつまらなすぎる、、
> ディーター・シュネーベルの《指揮者ソロ》のための作品
> (指揮者がドタバタしているだけで、楽音は一切しない)
> なんてのは面白かったな。もっともこういうのは、これ
> 1曲だけの試みだからこそ、*面白い*わけだけど。
指揮者と奏者が出てきて、何分間か何もしないで帰っていく
沈黙の音楽というのもあったようですね。
これらは音楽なのでしょうか?
話はずれてしまいますが(というより矛盾するかもしれない、、)
日本のレーベルでNEW AGE、NEW MUSIC等
扱っている良いレーベルはありますか?教えて下さい。