>> しかし、「無前提の公理」をいったんある程度認めれば、その
>> 土俵の上での《価値》は、ある程度*客観的*に議論できます。
>> もちろん、その《公理》を決めたのは人間にすぎないのですが、
>> 数学の*客観性*だって、それ以上のものではないわけで....
> その土俵は一部の人の妄想以上のものではありません、
> 僕はその土俵を完全に否定しているのではなくて、
> 過信しすぎると、つまらない方向に行ってしまう
> のではないかなあと、思っているわけです
それは、全く同感です。ただ、完全に否定してしまうと、
残された*客観的な基準*は《売れ行き》だけになって
しまうので、それはそれでやだなあ、と思っています。
>>>>> レーベルがノージャンルとして売り出す事はかなり難しいと聞きます(倒産する)。
>>>> ただそれは、現在のレコード店の陳列システムが、ジャンルを
>>>> 第一検索キーにしているからにすぎません。アーティスト名が
>>>> 第一検索キーになれば、こういう問題はなくなるでしょう。
>>> レコード店のみならず、音楽ファンにもあてはまるのではないでしょうか
>> *価値は個々の人間の評価の中にしかない*とすると、それは結局
>> 「ジャンルが音楽の本質になった」ということに相当するのでは?
> 野々村さんの意見がよくわからないんですけど、、
> 「個々の人間が音楽の本質である」とは思いますけど
ジャンルを第一検索キーにする人=ジャンルの違うものは聴かない人
=そういう人にとっては、ジャンルはもはや音楽の本質になっている
....というような意味で書いていたのですが、冷静に考えてみると、
渋谷タワーレコードくらい大きな店になると、私だって結局、まず
ジャンルで検索しているなあ (^ ^;;)
>>> 純粋な音楽だけが音楽の魅力ではありません、、
>>> その音楽に対して抱く幻想、回想、妄想、、
>>> 全てがその音楽の魅力なのです、
>> だったら、*外観*だっていいような気もしますが、そこが
>> 町田さんの《絶対に譲れない一線》なのでしょうね、たぶん。
> 鋭いですね、そうです、もちろん外観だっていいと思います
> 外観も一つの魅力です
> しかし、全て味わおうとがんばっている人にとって、外観
> だけではつまらなすぎる、、
ディーター・シュネーベルの《指揮者ソロ》のための作品
(指揮者がドタバタしているだけで、楽音は一切しない)
なんてのは面白かったな。もっともこういうのは、これ
1曲だけの試みだからこそ、*面白い*わけだけど。