51)

 Cの7小節目からのヴァイオリンのF(ファゴットの主題の拡大形ですが)は、もちろんこの音量で弾かれてはバランスがすっかり崩れるので、やはり音量を抑えます。ここではカスティリオーニが、弱音器付きでFと指示しているので、音量ではなく、Fの意味を、より音楽的に充分に聞かせられるよう、弓を軽く多く使うように指示しました。

続く、Dの3小節前からのファゴットの部分は、Dのヴァイオリンとフルートのカデンツに向けて、多少音楽を緩めるべき部分です。楽譜には全く何の指示もされていませんが、ここでテンポが変化しないとすると、この1番フルートの6連音符の存在はとても不自然です。
 さんざん悩んだ挙句、このDの部分をMeno Mossoと大胆に解釈し、Eに向けてSempre ritardando。続くEを3楽章冒頭のテンポより大分早くはじめることにして、楽譜にF sub! Veloce!と書き加えました。
 Dの部分をEに向けてsempre decrescendoさせるため、ヴァイオリンもフルートも最初はPではなくmFとし、3小節目以降をPとしました。こうすることで、このDの部分がとても豊かになります。

2003.4.10

52)

 そうして、Eではがらっと音楽を変え、明るく溌剌としたものにすることで、バランスを取ります。何よりカスティリオーニでは典型的なEのようなカノンは、主題がオーボエにあり、対旋律がファゴットにあることを忘れてはいけないと思います。ファゴットはオーボエよりも常に音量は心持控える必要がありますし、音楽のフレーズはオーボエの旋律に従うべきでしょう。

 Eを思い切り早くしたのは、Fのフガートが余りにのんびりしているので、冒頭のテンポでは到底音楽的にもたない為でもあります。このフガートも、最初からFで弾かせるより、個人的にはチェロはPから始めさせ、Gに向かって順番に大きくさせてゆくことで、音楽の方向性をより明確にさせます。そうして、Gの1小節前のチェロの裏打ちのsFを使いブレーキをかけ、Gで最初のテンポに戻ります。
 私の楽譜にはここに、A Tmo Solenneと書き加えました。

 まず、大切なことはGからの4小節間で一つのフレーズを完結させることです。ですから、Gの4小節目で、皆に軽いDecrescをかけます。同時に、主旋律はオーボエで、対旋律がフルートですから、フルートの音量は抑えます。
 とくにチェロのバスは3拍子のキャラクターを出すためにとても重要ですから、特に3拍を抜くよう、指示しました。

2003.4.10

53)

 そうして、Gの5小節目からが本当の意味でのCodaとなります。
 冒頭の主題がチェロとコントラバスに現れ、カッコウの主題がヴァイオリンとファゴットに戻ってきます。
 カッコウの主題はここでは2音符ともにアクセントがついていますが、よりキャラクターを明確にするため、二つ目のアクセントは全て消去しました。
 ここからは旋律は低弦にありますから、オーボエ、フルートの音量も充分に控え、何より、終わりに向けて、長いクレッシェンドをかけるため、mFに全体の音量を落とします。そうして、また4小節目でフレーズを聞かせるため、軽くDecrescをかけ、Gの9小節目からFとして、特にコントラバスを聞かせるようにします。

 終わりの2小節は既に和音も解決していて、ただ、フルートとオーボエのために小節を伸ばしただけなので、終わりから3小節前で音楽的には既に完結するように音楽を作ります。
 こうすると、3楽章は、靄に包まれた森の中、鳥がさえずり合い、最後の部分で、曙光が少しづつ立ち昇るように感じられます。

2003.4.14

54)

 私は、あわせて9回この作品を振ったのですが、オーケストラは以前にもこの作品を別の指揮者と演奏したことがあり、練習の当初は私の指示にかなりびっくりしたようでした。それでも丹念に練習を重ね、本番をすると、オーケストラの皆から随分感謝の言葉をかけてもらいました。多くは、こんなに素晴らしい作品だとは思わなかった、というものです。

 この作品がカスティリオーニのなかで特に傑作だとは思いませんが、少なくとも或る程度、演奏者の主観をもって音楽のなかに入り込まなければ表現できない何かがあると思います。
 この直後、イギリスの若いニューコンプリシティの作家の作品を演奏しましたが、こちらの方が、自分にとっては余程簡単でした。書いてあることだけを忠実に演奏すれば良いわけですから。

 カスティリオーニに関してですが、演奏家がここまでしなければいけないのだろうか、と疑問をもたれるかと思います。
 私は、ここまでしなければいけないと思う、とお答えするしかありません。上に長々と書いたことは、クラシック作品を譜読みするのなら、当然のことばかりです。
 逆にいうと、クラシック作品を譜読みするのと同じようにしただけ、ともいえます。カスティリオーニの例は、かなり極端だったので、こうして敢えて例として取り上げてみました。

2003.6.13

55)

 ところで、最初に指揮の真似事を始めたのは、学生の頃、自作を友達に弾いてもらうことが始まりでした。
 大学の1年の頃だっと思います。
 東京に住んでいた頃は、特に真剣に指揮を志すこともなく、自作やら友人やらの作品を指揮して愉しんでいる程度でしたが、イタリアに住んでから、必要に迫られ、真面目に勉強をしなおす事になって以来、ぱったりと自作を振ることに興味が湧かなくなりました。

 それが今から7、8年ほど前のことでしょうか。
 今でも自作の指揮に対し何ら特別な感情も抱きませんが、どうしても指揮をせざるを得なくなり、仕方なく6年ほど前の拙作を譜読みしています。
 それだけ昔の作品だと、自作という愛着もなくて、ただ作品を譜読みして、合わせに出かけてゆくという感覚なのが、不思議にも感じられるし、自分が少々薄情な感じもします。

2003.7.1

56)

 自分がどう弾いて欲しくて、こう書いた、という思い入れも殆ど残っていないので、全く新曲を譜読みしているのに等しいと思いました。
 ただ違うのは、普段は、自分が作曲家だったらここはどう弾かせるのだろう、と想像を巡らせるのが愉しみなのに、自分が作曲家なので、逆に何らスリリングでもなく、どう勝手に弾いたところが、作曲家自身の意見なので、妙に味わいが無い気がします。

 ですから、逆に書いてある音に対し、より客観的な解釈を加えようとしているのかも知れません。唯一、自分のよりどころは、本当に書いてある音符しかないのですから。

 元来、思いのたけを音符に打ち込む、という情熱的な性格でもないですし、自作も殆ど聴き返すこともないので(音楽そのものを殆ど聴かないものですから)、我ながら、さっぱりしすぎではないか、とも思う事がありますが、少なくとも今譜読みしている拙作は、指揮が技術的に少々厄介な部分もあって、なるほどこの時分はこんな風に音楽を捉えていたのか、と面白がっているところもあります。

2003.7.9

57)

 もともと、日本を出たいと思ったのは、当時、音楽を書くことが、ルーティンになりかかっている気がして、一体自分は本当に何をしたいのか、のんびりと一人で見直す時間が欲しかったからです。
 そうしてイタリアに住んで暫くして、音楽家として少しづつ生活をするようになると、結局ここも日本の環境と同じではないかとがっかりしたこともあったりして、丁度そんなころの出来事だったと思います。
 長くいればいるほど、自分がヨーロッパ人ではないことをより強く感じるようにもなり、「音楽」というものの基本的な認識のレヴェルの違いに、気が遠くなるような思いがします。
 しかし、何年かイタリアで暮らすうち、自分が今まで思っていた「作曲家の創造物、作曲家の所有物としての作曲姿勢」から、より客体化された関係に変ったのが分かりました。
 少し自分の身体から音楽が抜け出して、どこか違うところで息づいている感じがして、もしかすると、ヨーロッパ人が思う音楽観というのは、こんな生活を子供のときから積み重ねて形成されているのかしらん、とふと思ったことがあります。

2004.9.24

58)

 しかし、暫くすると、逆にそうした「作曲技法」という免罪符が、或る時から自分の大きな足かせになりました。
 この免罪符がなければ音楽が作れないような錯覚に陥ってしまったのです。実際に、音楽は論理と深い関わりを持ち発展してきたとしても、論理、つまり言葉で説明し得る免罪符がなければ音楽として成立できないのは、間違いではないかと薄く感じていたのです。  悩めば悩むほど、しがらみが足をまきついて、自分が、表現したいものから離れてゆく気がしました。
 一体自分が表現したいものとは何だろう、なぜ表現したいのだろう、自分をしばらずに開放するには、一体どうすればよいのだろう。
 それまで自分の周りを埋め尽くしていた音のパネルを、粉々に叩き割って、大きな音楽の流れに沿って、並べ替えてみることにしたのです。
 様々な素材を用いて、音楽の流れが鈍重にならぬよう気をつけながら、求心的にそれらをざくざくと並列させてゆくことで、自分がそれまで自由に書けなかった、あけっぴろげな音楽観が、少し表現できた気がしました。

2004.9.24

59)

 各々のパネルは、作曲技法的に言えば、使用している和音の癖も、フィギュアも、以前に比べ特に珍しいものではありません。
 それまで使っていた方法論に基づいて組立てられながら、一つづつ完結した時間軸の上に載せられるのではなく、モザイクのようにあちらこちらに散りばめられながら、一つの大きな流れを形成するように考えられていますが、最初は、かなり感覚的にスケッチしていると言って良いでしょう。

 昔から愛用している数列表を使い、規定の数字をどう音楽的に自由に生かすか、つまり読み替えるかは、文字通り瞬間的な感覚の判断にゆだねられていて、自分の中で、常に音の方向性に新鮮味と発見と喜びがあるよう、音楽の全体の方向性を形作るスケッチを取ってゆきます。
 この作業そのものは、実際誰でもやっていることに近いプロセスですが、ここでは、感情的になったりして、敢えて具体的な音を書くことを避けます。

2004.9.24

60)

 或る程度、感覚的に音楽の方向性は定着するものの、そこで一旦自分から音楽を切り離そうとするわけで、このあたりに、音楽を自分の感情から客体化させる、イタリア式の音との付き合いが染み込んでいるのかもしれません。
 そして、各々のパネルの断片毎に、論理的方法、ある法則に則った和音群なり組み合わせを使い、自分の趣味を余り滲ませすぎないよう気をつけながら、音を選んで定着してゆきますが、音楽の流れ、方向性のパラメータと、実際に楽譜に定着されるべき音楽の間に、マージナルなスペースが常に意識されているのです。

2004.10.4

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