> > ただ、作曲者の、現実への問題意識が、作品に表現されている場合には、
> > 聴く側も、現実を見ていなければ、その作品に対する共感は得にくいと思うのです。
> それはあくまで*きっかけ*であって、もしその作品が普遍的な強さを持っていれば、
> そういう知識とは無関係に「凄え!」と感じるはずです。むしろ逆に、リスナーが
> その作品の背景を調べていくうちに、その《問題》に突き当たるのでしょう。
賛成します。さっき投稿した返事にも同じことを書きましたが。
> > それらが、まさに、いろいろ指摘されているような、
> > 「聴く者とコミュニケートしようとしないような音楽」なのでしょう。
> 具体的に、誰の何という曲ですか?《現代音楽》とか《前衛音楽》とかいう
> 実体のないお化けを作り出そうとする言説に注意しましょう。
たとえば、メシアンの「音価と強度のモード」やブーレーズの
「構造I」といったセリー主義的音楽です。
> > 作曲技法そのものが関心の対象となっている多くの作品を、
> > 全く知識なしで聴いても、まったくおもしろくないでしょう。
> それは結局、その曲が面白くないんですよ。フーガの知識が
> 全然なくても、バッハの『フーガの技法』は面白いです。
そういうもんなのですかねえ。もっといろいろ
聴いてみなければ。