Re: 開閉的な現代音楽

投稿者:野々村 禎彦
投稿日:97年1月24日 21時01分31秒
リモートホスト情報:mag301d.riken.go.jp
芦田直之氏の投稿「 Re: 開閉的な現代音楽」に対するコメントです

(内容)

>>> 「聴く者とコミュニケートしようとしないような音楽」
>> 具体的に、誰の何という曲ですか?
> たとえば、メシアンの「音価と強度のモード」やブーレーズの
> 「構造I」といったセリー主義的音楽です。
セリー音楽が、「作曲技法を知らなければ面白くない」というのは
私の印象とは全然違います。なぜなら、セリー音楽の構造は、譜面
をアナリーゼした時に初めて見えてくるものであり、聴取程度では
確認できないからです。

私見では、セリー技法の意義は、「ある音楽要素を、一定の密度を
持った背景音に還元して、技法が*適用されていない*音楽要素を
際立たせる」ことにあります。例えば、「構造I」で耳を惹くのは
音の密度と音楽の方向性であり、これらのパラメータはこの曲では
感覚的に決められています。

この「特定の音楽要素を際立たせるために残りをシステマティック
に決める」という姿勢は、クセナキスの数学的な作曲技法にも共通
していると思います。

# もっとも、作曲家たちは、はじめからそう思ってこれらの技法
# を用いたわけではないのかもしれませんが。ただ、結果として、
# 厳しい枠があった方がかえって個性は際立つのかもしれません。

>>> 作曲技法そのものが関心の対象となっている多くの作品を、
>>> 全く知識なしで聴いても、まったくおもしろくないでしょう。
>> それは結局、その曲が面白くないんですよ。フーガの知識が
>> 全然なくても、バッハの『フーガの技法』は面白いです。
> そういうもんなのですかねえ。もっといろいろ聴いてみなければ。
それに、そもそも、「作曲技法そのものが関心の対象となっている音楽」
なんて、数はごくわずかです。問題の総音列技法だって、ブーレーズは
「構造I」を発表した次の年くらいに「いまや探求を」という論文を
書いて、機械的に音列操作だけを行った作曲を批判しているのです。


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