ちょっと順番を入れ替えてコメントしました。
> でもこのパラメーターというのがそもそも怪しくて、
この点がここ2年ばかりの山本作品のコンセプトを支えているわけですね。
> パラメーター分けの根拠も曖昧になってくる……というのは観念的すぎる?
いえ、これ自体は観念的でも何でもなくて、ただそれを実際にどう説得的に
実現するか、が作曲家としての問題でしょう。
> 「個々の音」と 「構造」は、たとえば個々の音が近隣と関係していくにつれて
> 構造を形成していく、という連続的な関係を持っている、と私は考えています。
> だから「ミクロな構造」をみればもしかしたらそれは 「個々の音が作り出す
> まとまった音(フレーズ?)」とほとんど変わらない、ということもありえる。
> もちろん従来の 「構造」という言葉の意味を離脱するわけですけど。
これを読んで連想するのは、図形のどの部分をとってもその図形全体が埋め込まれて
いる、という自己相似的な図形です。こういう図形の場合は確かに全体を見ても細部
を見ても「同じ形」を見いだすことが出来るのですが、音楽や音響的な図形の場合、
違うレベルの視点から見てどのくらい「同じ形がある」と見なせるのか、分からない。
今この時点で僕が考えるに、確かに「個々の音」と「それらが合わさってできるそれ
より大きなレベル」との順序の絶対性は曖昧ですが(うまく言えないけど、それよりも
大きいレベルも、小さいレベルもあり得る)、やはり順序性そのものは存在するのでは
ないかと。つまり、「上のレベル」と「下のレベル」はやっぱり質的に違っていて、
別のものとして扱わざるを得ないところがあるような感じがします。
だんだん観念的になってきましたが。
> それはルトスワフスキの「チェイン」のようなものとは異なりますよね?
> でも単位の違いはあるけど似ているところがあるかも。
うーん、確かにこの曲の解説をラジオで聴いたときには面白いと思ったけど、
曲を聴いてあまり興味がもてなかったもので....(^^;)。でもまあもう一度
聞いてみる必要はあるかな。
個人的には、Luis de PabloやJohn Leaの作品に見られる「構造」に興味が
あります。他の面、例えばマテリアルとか、作品の総合的な点での興味とい
うと全く別ですが。
> ということは、このコメントチェーンはパーソナルなんですね(笑)。
というか、パーソナルな視点からコメントをしている、ということです。
究極的には(少なくとも現状では)作曲というのはごく個人的な活動だし、
とはいえ他の人との対話が非常に自分にとって刺激的であったりする。
そういう点から言うと、僕や山本さん以外の人がどういう風に考えるのか
しれたらいいと思う。でも読んでないか。