山本の返答(1)1998.08.02

三輪さんへ

かなり濃い感想文を、ありがとうございました。もちろん、あの痛烈な批判に対して頭に来るわけでもなく、むしろ、今まだこのような意見を我々に対して包み隠さず投げつけてくれる人がいたということを再認識できて、嬉しく思っています。何しろ雑誌の批評はいつも事後報告に過ぎないし、日頃親しい人はどこまで本気か分からないけど誉めるか、さもなくば言葉を濁すだけで終わってしまう。とかく難しい世界だなあと思っていたところこのようなメールを頂き、むしろ読みながら顔がにやにやしかかったりさえもしました。漠然と思い描いていたものをひょんなことから発見してしまった、という感じでしょうか。うまく説明できませんが。

さて、残念ながらご指摘についてはあまり反論の余地はありません。感想文の内容を考えると、山本宛というよりはテンプス全体に対するご意見と考えています。ただお返事を書くに当たって私がテンプスの意見を代表するわけにはいかないしそんな気も更々ないので、個人的な立場で感想(反論)を書かせていただきます。

> 自分たちの表現を成り立たせている基盤についての意識がどの作品にも
> 全くといってよいほど感じられなかったことに対する個人的な苛立ちが
> あったからです。

この部分を私が誤解していないとすれば、一応そんなことはない、と答えておきます。または、全く考えないわけではない、と少し弱気になりながらも。しかし三輪さんがこのようなご感想を得たことも納得できます。自分が聴衆としてあのコンサートに行ったら、やはりそう思うだろうなあ、と。これはどういうことかといえば、要するに作品の表現が成功していないということです。私としては、自分の求める音楽、表現、それらの必然性を知っているつもりだし、そしてそれが他の作曲家がやっていることと(特にコンセプトの面で)異なっている、という意識を持っています。さらにそれはもちろん自己満足では終わらずになにかしら今までの音楽と全然違う新しいものとして形をなすという期待を持っています。
にもかかわらず、そういったものを具現化した音楽にならなかったのには2つの原因が考えられます。その一、表現者としての技術が足りなかったか。その二、表現者としての才能が足りなかったか。

その結果、既にあるフォーマットの上でそのヴァリエーションよろしく「新しい作品」と称するものが生まれたわけです。作曲しているときには、もちろんそのフォーマットを抜け出すべく努力するわけですが、出てきたモノを聞いて愕然としてしまうという経験をここのところ繰り返しています。この矛盾に自分で気づいている限り、まだ前述の「その一」の範囲内で済んでいるという希望を捨ててはいないのですが……。

もちろん、だからといって「あれは僕のやりたかったモノじゃないんだ〜」と訴えるつもりはありません。現時点の結果ですからね。発表したモノに対しては責任は持つし、ある程度の実験もしたし、何はともあれ演奏者に大きな負担をかけてまで実現した自分の音楽です。ただし、それは表現基盤の意識の問題とは別次元の話です。

ええと、ここまで書いて「やっぱりおまえはなにも分かっていないじゃないか」ということがあったらご指摘下さい。

次にプログラムノートのことですが、これはいつも悩む問題です。何しろ以前、作品に関する解説や情報をほとんど書かなかったら批評をぼろくそに書かれた、という経験があります。批評家なんて無視すればそれまでですが、やはり気持ちの いいものではありません。くやしいけど。ただ、言葉でもって作品を敷衍しなければならないというこの世界の不思議な慣習に抵抗を感じるのも事実です。つまり言葉を操っても自分の音楽を言葉で説明できるとも信じていないわけです。語りすぎると、自分の音楽が誤って聴かれてしまうことに対して言い訳しているような気もするのです。それに文才がないので、却ってなにかしらの誤解を与えてしまう危険性も。だから私の場合、プログラムノートはあまり深く考えずにその文章自体を作品から少し離して好き勝手に書く、という態度を今回はとりました。ですから

> 言葉によってそれでなくてもわかりにくい自分の大切な作品を少しでも理解して
> もらいたいという意志があるのか?

に対しては「それができればしたいけど、期待もできない」と今はお答えしておきます。

山本裕之

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