みわの感想(5)1998.08.10

山本さま、

>> その必要性を感じないならば、(今回のぼくの批判は、この必要性を指摘
>> することで成り立っているので)この話はほぼ一回りした、ということに
>> なると思いますがどうでしょうか?
>
>必要性を大いに感じるのですがそう思われていないようなので、
>もう少し続けましょう。

あ、わかりました。皮袋で行き違っているようですね (ぼくが悪かったかもしれない)

>> ゲンダイオンガクの皮袋とコムロの皮袋以外には思いつかない発想の貧困!
>> 自分(達)で新しい皮袋がつくれないかと考えてもみない怠慢!
>
>皮袋を作っちゃったら二重構造が生じてしまうではないですか。
>二重構造の発想を持たないためには、まず皮袋を用いないことです。
>
>……どうも皮袋の定義、というか意味あいが行き違っているようですね。
>私の場合、それを二重構造の外側というレヴェルだけで考えているのです。
>そして僕の今までの解釈では、三輪さんは、その皮袋の外側から(つまり
>皮袋のあるなしに関係なく)ものごとをを発想しなければいけない、
>とおっしゃっているのではないかと思ったんですが。

わかりました。行き違っているようです。ぼくの世代のコムロとは小室等と六文銭のことかもしれないので /(^_^;
まずはぼくの使っている「二重構造」、「皮袋」の意味を整理します。「二重構造」とは表現内容と表現形態との分裂、ということになるかと思います。そしてこれは「皮袋」とその中身とに対応させて考えています。つまりこのふたつが統合されてひとつの表現が成立する、と一応この話のなかでは設定しています。
「皮袋」のたとえは古い表現形態の中に新しい内容を詰め込んでも中身を腐らせてしまうだけだ、という意味で使っています。そのような意味で逆に皮袋と中身は別のものでありながら切っても切れない関係にあるのだと話したつもりなのです。
そして中身はともかく、「皮袋」について配慮がぜんぜん足りない、表現においてこんな大切なことがらになぜみんなは無頓着なんだ!とぼくは批判したわけです。

この表現形態のことですが、楽器の編成やコンサートホールを使った「音楽会」のような社会的形式のことも含みますが、なによりも制度化された現代音楽の表現様式、美学的基盤についてどのように関わるのか、という点にぼくは注目しています。

とりあえずここまで確認ということで・・
みわまさひろ

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