1)

 先日山本さんにお会いした折、何か書きませんかとお誘いを受け、具体的なアイデアもないまま、すっかり無責任に引受けてしまいました。
 皆さんにお許し頂ければ、肩の凝らない内容で、つらつらとお手併せ願えればこれ倖いに存じます。

 ところで過日、東京から北イタリーは片田舎のモンツァに舞戻って、いや寒いこと!
 この按配では、フランス・ドイツ辺りの同郷の皆様なぞ、到底当地の比ではないでしょうに、全く好く風邪をひきませんね。躯に応えませんか。寒がりの僕なんぞ心底、感心してしまう。
 こちらは今朝も1時間ばかり街頭を徘徊しただけで、早速ウィルスと懇ろになってしまい、布団をひっ被って震えております(何でも今年は例年にない冷込みとか。冬生れの癖して、寒気はからきし駄目であります)。

2001.12.16

2)

 普段は殆どアルコールに手を伸ばさない質ながら、こうも底冷えにやられると、勢い、出掛けに場末の喫茶店にてリキュールコーヒー等呷(あお)りつつ、躯を温めることに相成ります。
 これは所謂「Caffe corretto」なる奴で、どのリキュールを差すか、専ら自分で注文をつける事が出来ますが、前以て某かリキュールを適宜物色して置く必要があります。

 勘の好い向きには解ったかも知れません。蛇足でありますが、Correttoは英語のCorrectedに当る伊語で、そのまま訳せば、某かのアルコールに因り「正されたる珈琲」を意と致します。
 これ等、正に左党の発想そのものでありまして、当地で風邪避けに好く呑まれる、コニャックを差したホットミルクは「Latte caldo Corretto-正されたる温牛乳」と申しますが、ハテその出典は何でしょうね。

2001.12.20

3)

 閑話休題。「正されたる珈琲」に戻って、グラッパ(といえども銘柄を言わなければならぬ)を垂らそうが、サンブーカ(とは言え何処でもマァ2種類位は銘柄も在る)を垂らそうが値段は変わらないのですネ(大凡120円也)。来た当初、これが解せなかった。

 だって、ここが東京なら、間違いなく値段が変わりそうなものでしょう(尤も、日本ならば最高級のリキュールでなければお話になりますまい。そう言えば、過日ベルリンのホテルのバーにて、先述のコニャック入ホットミルクを注文した折、バーの可愛い女の子が思案の末、ホットミルクにナポレオン!を携えてやって来たのには抱腹致しました。余りに可笑しいので、ではドイツでは風邪には何を呑むのかと尋ねると、蜂蜜入のレモネードでしょうか、という至極ドイツ人らしい返答に再度笑ってしまう始末で、これがイタリー人なら断じてこんな実直な返事は寄越さないのであります)。

2001.12.24

4)

 再度、閑話休題。ここが東京なら、違うリキュールをコーヒーに垂らせば、当然値段も変わりそうなものだという処でした。

 ただ、そう大仰な量を垂らす訳もなく喫茶店の大勢に影響なかろう、と今でこそ思えますが(単にこちらが横柄になったのか)、当初はすっかりおどおどしてして、高価な酒は注文出来ない始末でありました。
 マァ何と言いますか、往々にして我ら日本人が元来真面目なのか几帳面なのか、なかなか機転が効かない気も致します。

 尤も、客としてはこの程度のおおらかさを喫茶店主に求めたい処ではありますナ(所謂マニュアルやら流行りのグロバリゼーションには至極不都合でありますが。ならば、日本もその昔はこの位は鷹揚(おうよう)だったのかしら)。

2002.1.3

5)

 マクラ話も大概に致しますが、かかる思索の相違(と書くと偉く高尚に響く)は譜面を読む折等、度々出会(でくわ)す訳であります(特にイタリーの作品等を読んだりすると)。
 ドナトーニ等の面倒な譜面も、当地の演奏家は存外にさらっと弾いてしまうし、それなりに併せてしまいます。
 馴れもあるでしょうし、マア余り何も考えていない様に見受けられますが、当初は実に不思議な気が致しました。
 何しろ当時は、ソルフェージュなら日本人が余程得意と信じて疑いませんでしたし、イタリーの演奏家は酷いものと吹込まれつつ、当地にのこのこやって来た按配で(ならば何故わざわざイタリーに来たものか)、イヤァ一寸びっくり致しました。

 この辺り、イタリーの車の運転やら、駐車の仕方に喩えると、案外理解が早いかも知れません(頓に彼らの駐車技術に関しては)。
 実に見事な位、窮屈な処へ車を収める訳ですが、その実、ぽんぽんと前後の車に車体をぶつけて、要はそこに収まれば好いと言わんばかりであります。

 洗練という言葉とは程遠い、実に大雑把且つ明快な価値観ですネ。

2002.1.7

6)

 もう何年前に成りますか、今は亡きドナトーニさんに付添い帰京の折、某音楽大学にて彼の作品を学生さんが演奏してくれた時のことを懐かしく思い出します。

 演奏していた学生さんの一人が、老作曲家にこう尋ねたのです。
 「先生の作品の最後には、何度となくハ音が繰り返されますよね。一体、あの音の裏には何の意味が隠されているのでしょう」

 それを聞いた老作曲家の怒りようと言ったら!

2002.1.13

7)

 生徒さんの気持ちは充分に理解出来たので、僕なりに一所懸命説明したものの、ドナトーニさんはすっかりお冠でありまして、何故なら、ドナトーニさんにとってそれはただのハ音であって、裏には何の意味もないからです(と雖も、何もそんなに怒る程の事でもなかろうと思いますが)。

 演奏家は、とかく音の裏に作家の想念が犇めいている、かような淡いロマンに胸をときめかせたいものかも知れませぬ。
 粉飾を施された伝記やら逸話を絡めて、理想を思い描きつつ演奏に臨んだりしてみたいものであります(成る程言われてみれば「運命」等と洒落て呼ぶのも我が国だけでしたネ)。

 生徒さんのお気持は尤ですし、作家に因っては、実際主観を音に忍ばせたりも致しますが、マァあの場合は単にドナトーニが対極に位置していたと言えましょう。思えば、あの純真な女生徒さんには、大層、気の毒な事を致しました。

2002.1.15

8)

 蛇足でありますが、日本語が表意文字を使用している事は、西洋人とは大いに異なる部分だと常日頃考えておりました。

 表音文字(アルファベット)のみで暮らす彼らにとっては、例えば「犇めく」を牛三つ並べて僕らが感じる、視覚的且つ総括的、ともすると触覚的なイメージ等、到底理解出来ぬ筈でありまして、彼らに対し、心秘かに憐憫の情を禁じ得ぬ部分でもあります。

 敢えて言えば、表音文字を、そのまま「音」と読み替えても、さして間違いはなかろうかと思う訳ですね。
 相互理解に於てこれは一寸した鍵ではなかろうかと、暫く一人で北叟笑んでいたのでありますが、如何でしょう。

2002.1.21

9)

 厭きもせず、又しても閑話休題でアリマス。
 その昔、某我が国のアンサンブルが、ドナトーニさんの「最後の夜」を演奏した際の逸話をご紹介しましょう。

 どうにも指定のテンポで演奏出来ず困りつつも、誠実な彼らは指定のテンポで弾ける方法が存在する筈と疑わず、丹念に練習を重ねていたそうです(初めて見たドナトーニの楽譜が、書き込みだらけのこのパート譜でありました。確か中学生だったと記憶していますが)。

 結局、埒があかず作曲家に電話した処が(その辺りがやっぱり真面目なのですね。2 0年も前の事、さぞ国際電話も高価だったでしょう)、不誠実なドナトーニさんは「どうぞ弾けるテンポで弾いて下さい」と呑気に答えたそうで、お蔭でそれまで必死に練習していた演奏家の方々の士気が一気に力が落ちたとか落ちないとか(余程がっかりしたのではないかしら)。

 尤も、ドナトーニさんからすれば、一体何がそんなに問題なのか、全く理解出来なかったに違いありませんが。弾けるものをただ弾けば好いだけですからネ。

2002.1.31

10)

 処で昨年の11月、ピアノのブルーノ・カニーノ氏の弾くドナトーニの「Rima」を聴く機会がありまして、かかる難曲をカニーノ氏がどう料理なさるのかしらんと、興味深々、ぐるぐる思いを巡らせつつ演奏会に赴きましたら、何と彼は思いも掛けぬ程ゆったりしたテンポで飄々と弾き始めるではありませんか!

 それを聴いた瞬間、思わず「ああやられたナァ」と頭を掻きましたネ(思いもかけぬ回答を、だしぬけにやられた感じが致しました)。
 文字通り飄々としたテンポの上で、カニーノ氏は微細なフレーズを鮮明に浮き上がらせて呉て、それは見事でありました(尤も、予め曲を知らない向きには、余り聴き映えしなかった様で、ただ吶々(とつとつ)と紡ぐだけなので、アレレこの人本当に大丈夫と訝しがったり心配した方も居られたとか)。

2002.2.4

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