Re: (ドイツの)現代美術作家について

投稿者:鈴木治行(山本裕之による代理投稿)
投稿日:96年11月21日 02時06分02秒
リモートホスト情報:rika
野々村 禎彦氏の投稿「 (ドイツの)現代美術作家について」に対するコメントです

(内容)

キーファーがシュニトケに、ポルケがカーゲルに相当すると
いうのは、感覚的には共感できます。特に、キーファーの、
モダニズムの実験の時代の後にあれだけ大時代的な身振りを
あえて大上段に構えて出してくる、その振る舞い方や、ポルケの、
どこまでが真面目でどこまでがふざけているのか分からないような、
見る者を居心地悪くさせるその悪意のあり方において。
とはいえ、キーファーとシュニトケでは、キーファーの方が
梶原一騎的な意味で、今の時代においてすぐにも爆笑に
転化し得るだけの「深刻さ」の徹底性を持っている分、
今日的だと思います。ポルケについては、まだ僕自身
見えていない部分も多いので当分の間は触れないつもり
だったのだけれど、この前ドイツに行った時、美術に関して
最も強烈に印象に残ったのがリヒターとポルケの2人だった、
ということは触れておきたい。リヒターもポルケも、
アメリカのポップな美術の傾向に技法面において
ある程度接近する部分を持ちながらも、それを自分の
作品として昇華したときに、非アメリカ的、というか、
ウォーホールやオルデンバーグの持っていた透明なまでの
表層性を、不透明な何かに変容させてしまっている
ところは共通している。その「何か」が何なのか、
今の時点では分からないけれども。リキテンシュタインの
ドット(点)は透明なまでに明快でも、
ポルケのドットの収まりの悪さはもう、異様としか言い様がない。
ドイツで、ポルケの作品の前で何度、目がドットになったことか。
今一番頭の中を開けて覗いてみたい作家の一人。

さて、リヒターは音楽でいうと誰に相当するのか、
という問いですが、これについてははっきり言って分かりません。
あそこまで、同じ作者だとは思えない作風を
複数同時進行させているヘンな奴が、はたして音楽に
いるのだろうか。時代が変わって作風がガラッと変わる、
というのはいても、同時進行というのは……。もっとも、
ここ1年ほどの間に、リヒターのその一見無関係な諸作風に
通底する共通項というのがやっと少しずつ見えて来つつは
あるのだけれど。それについてはまたの機会に。



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