> 理論的なことはよくわかりませんが、「音響」が先ずすばらしいし、「日常の時間や空間を超えた《追悼》の場」へ連れていってくれるではないですか。:-)
> Ryujiさんは湯浅さんの作品全部がきらいなのですか、それとも「イン・メモリー・オブ・武満徹」だけがいやなのですか?
> 中野さんへ 僕が困っているのは特にこの「メモリー・オブ・武満徹」について、この曲を聴いている僕の耳が次第に倦んでいってしまうことなのです。湯浅氏の例えば「クロノプラスチック」や「オーケストラの時の時」などは、非常に興味深く聞けます。日常的な耳の感覚の地平を越えた、一種、真空状態の音の流れとでもいえるような世界に、感覚的な快感を、また知的なスリルをも感じます。
> もしかしたら、このような湯浅氏の曲への先入観がヴァイオリン協奏曲の享受の妨げになっているのかもしれません。湯浅氏が手近なところで音を選んで満足しているのではないことは、この曲の作曲にも例のごとくグラフを使用していることからもわかります。現代の作曲家の中でも、音をオブジェとして扱う側面が強い作曲家であるだけに、そのような知的な操作を(僕が)ことさらに湯浅氏に期待していたのかもしれません。
> もう一度聞き直してみようかと思います。