> 前衛芸術一般に関心のない人に言いたいことですが、思考の共有が容易で
> ないからといって、すぐ背を向けるのはもったいないと思います。
>
> これを知人に言ったら、
>
> 「たしかにそう思います、でもやっぱりこれが難しいのは、彼らはそういうも
> のを芸術に求めていないからだと思います。芸術に対する考え方・アプローチ
> が違うんですよ、きっと。」
>
> という返事がかえってきて、なるほどと思ったのですが、ほんとにこのまま見
> 過ごしてでいいことなのでしょうか。いつまでも「わかる人だけがわかってい
> れば」いいのでしょうか。
例えば食糧危機の国に余剰米を送っても、それがその国の食文化と相容れない
ものならば、彼らにとってその米は飢餓を救うものにはならない、という話です。
食わず嫌いは困りますが、根本的に受け入れられないものもあるというのは、
自分を振り返ってみてもやはり否定できない。創作活動を行う上でまずそれを
認めなければ、作者は永遠に苦しむことになります。
> 創作の目的って何なんでしょうか。僕は人に何かを与えることができるからだ
> と信じてきました。ほんとうにいいものは時間と空間を越えて多くの人々の共
> 感を得ていく。少しの人にしか共感を与えられないとしたら‥‥
少しの人でも悪くありませんよ。それだけでも作品の存在意義があるというものです。
共感を多くは得られないことによってつまらない思いをするのは作者当人だけですから。
> 芸術家は認められるために芸術を生み出しているのではないことはうすうすわ
> かっています。共感を得ることと、作者が何かを芸術に託すということはどの
> ように両立するのでしょうか?
「作者が何かを芸術に託す」というのは具体的にどういうことでしょう。
それは「共感を得る」為に託す何かですか?