芦田さんの言葉を読んで、感想を書かせていただきます。
別に批判、というわけではないのですが、それに僕とて、こういうことに関してよく考えているというわけではないのですが、芦田さんの言葉に僕が一番感じるのは、少しナイーブすぎませんか、ということです。
それはどんな部分かというと、「芸術」だとか、「創作」だとか、あるいは「いいもの」だとか、こういう言葉をあまりにも不用意に使いすぎていませんか、ということです。不用意に、というのは、それらが疑問の余地なく存在していることを前提にこのような問題設定をしても、でてくる結論は(結論がでないと言う結論も含めて)いつも同じものになってしまうのではないですか、と思うのです。
特に、他人に対して何が伝わるか、ということを考えているはずなのに、なぜ、独りよがりに「いいもの」なんてことがいえるのでしょう。
「いいもの」であるか、そうでないかは、他人の介在なしには判定できないでしょう。
このへんのことに関しては、高橋悠治氏がとてもよく考えていると思います。最近の文献では、「批評空間」という雑誌で、柄谷行人氏や浅田彰氏と、コミュニケーションとは何かということに関してとても示唆に富んだ発言があります。ご参考までに。・・・・・