フェラーリ会見記


鈴木治行(作曲家/新しい世代の芸術祭2002企画)


 回は論考的なものにはせずに、素朴な会見記として僕がフェラーリに会った時のことを綴ってみる。
 ェラーリに初めてコンタクトを取ったのは1996年に初めてパリに行った時だったが、タイミングが合わず、結局電話で話しただけで終わった。翌1997年にひょんな縁で「映画芸術」誌にフェラーリとワルター・ツィンマーマンのことを書くことになり、フェラーリにも誌上アンケートでいくつか質問をした。その時にもたしか電話をかけて話したと思う。やっと初めて会えたのは1998年にパリに行った時だった。出発以前に日本からも連絡していたのだが全く通じず、フランスとイギリスに18日くらい滞在していた間にあちこちから何度電話しても掴まらず、やがて帰国はもう目前に迫り、今回もダメかな、と思いつつポーツマスの港からふと電話してみたら突如フェラーリ本人が出てきた。特に会わねばならぬ用事があったわけではないが、誰であれ、迷いなくオリジナルな仕事をしている表現者には僕自身会ってみたいと思うし、会って自分の音楽をぶつけたいというのが今に至るまである。結局それが一番話が早いということがだんだんわかってきた。それは政治的な処世術などではなく純粋に芸術上の欲望なのだ。そもそも政治的な配慮が理由なら、フェラーリに会っても全く意味がない。さて、明日は帰国という最後の日、パリの地下鉄9号線の東の終点Mairie de Montreuilの駅前で、指定された旗のたなびく下で待っているとフェラーリが車で迎えに来てくれた。緊張した。そこから郊外に向かって走り、瀟洒な住宅地の中のフェラーリ邸へ。今回紹介される『Far West News』や『Ouvert-Ferme』でもわかるように、フェラーリはかなり車好きらしい。
 事部屋に案内されてびっくりした。何しろそこら辺の壁中、女体をモチーフにしたオブジェや写真、絵画だらけ。まあフェラーリのCDを何枚か見たことある人には想像がつくだろうけど。作品リストを見ても、曲のタイトルの中のfemmeとかfilleとかの使用頻度がやや高いような気がするし。しかし誤解してはいけない、決して家の中が歌舞伎町状態だというわけではない。何というか、それは洗練された、アーティスティックなエロティシズムなのだ。こうしたエロスや性的なものへの関心はフェラーリの音楽にとって非常に重要な位置を占めている。庭に出ると、そこには「CDのなる木」が生えていて、沢山のCDディスクが枝からぶら下がっていた。そうか、彼はこうやって自分のCDを栽培して作っていたのか。ちがうって。初めて会った時フェラーリに訊きたいことが山ほどあったのに、むしろフェラーリの方が僕の話を聞きたがって、結局僕の音楽の話になってしまった。ドイツ人の奥様ともども、非常に温和な、等身大の人で、いかなる意味でも権威主義的なものから無縁なキャラクターだろう。
 にフェラーリに会ったのは昨年の6月、今回のフェスティヴァルの打ち合わせで渡仏した時。またしても自宅に案内して頂いて、奥様のおいしい手料理なども御馳走になったりして、忘れがたいパリ滞在となった。打ち合わせは一応終わったが、話しているうちにいろいろ訊きたくなってきてしまい、日を改めてインタビューをさせてもらうことにした。今度はバスチーユに近い彼のスタジオにお邪魔した。その中もまた、クールベの『世界の始源』をはじめとする女体ワールドだった。また、壁の棚には若い頃からの全作品の音源が古いものはオープンリール、ある時期からはCD-Rの形でズラーッと整理されて入っていて、溢れるよだれをぬぐい取るのに苦労した。ここに住み込みたい‥‥。インタビューは、そのつもりで日本から何も用意してこなかったので練れた質問とはいえなかったが、それでも興味深い成果はあった。まだ整理が終わっていないし、量的な理由でも今回のプログラム冊子には載せていないが、いずれどこかに公表はしたいと思う。

 ェラーリは、いつも旅に出る時は録音機器を携えて行ってその土地の音を録音して帰り、その中の素材からまた新たな作品を生み出す。アメリカ旅行した時の録音素材から『Far West News』が生まれたように、今回の日本旅行からはたして『Far East News 』は誕生するのだろうか?



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