リュク・フェラーリのコンサートについて
井上郷子(ピアニスト) |
私は、12月7日に東京・青山にあるカワイ・コンサートサロンでリュク・フェラーリのピアノ曲を集めたリサイタルを開きます。そのうちの1曲は「こんにちは、ごきげんいかが」という、ピアノ、バスクラリネット、チェロのトリオですが、あとはすべてピアノ・ソロのための曲を弾きます。更に、2002年、2月22日にバリオホールで行なうリサイタルでもリュク・フェラーリの「ないしょのはなし」という、ピアノと打楽器のための曲を松倉利之さんと演奏します。又、12月のリサイタルの際には、私の友人である音楽学者の椎名亮輔さんに京都からいらしていただいて、リュク・フェラーリのこと、彼の作品や活動のことなど話していただく予定です。 そもそも、何故、私がリュク・フェラーリのピアノ曲だけで一晩のコンサートを開こうと思い至ったか、ということについては、この企画が、私自身の演奏活動の延長線上にあるということと、今春までパリに在住していらした椎名さんとの交流のなかから生まれた、ということができます。 私の演奏活動のことで言えば、私は、1991年より「SATOKO PLAYS JAPAN」と題したリサイタル・シリーズを毎年1回、行なっています。これは現代日本の優れたピアノ作品を集中的に弾く、という趣旨のもので、2001年からは日本以外の作曲家の作品も含めて演奏しています。このリサイタル・シリーズでは「すでに有名な作曲家の作品を並べる」「現在目立っていると誰かが推薦する作曲家を紹介する」「自分の“好みのレヴェル”(勿論、好きでない曲は選びませんが・・)や身の回りの人間関係に拠った曲を弾く」etc.のような、日々、ありがちなことは極力避けながら、作品を選び、委嘱する作曲家を選び、プログラムを組み、できるだけ長い期間コンサートを継続することを心がけてきたつもりです。結果的には、音楽としての実質を伴う作品が私のレパートリーとして残ってきているわけですが、ヨーロッパの主流そのもの、或いは“ジャパニーズ・スタンダード”的なもの、というよりは、どうしても個性的な作品や作曲家に目が(耳が)行ってしまっています。例えば、近藤譲さんのピアノ曲を集めたリサイタルを行ない、スイス、HatHut社から彼の曲だけを弾いたCDも出してしまいましたが、近藤譲さんは、近代西欧の音楽、作曲の伝統に深く根ざしながら、それを非常に意識的に個性化して使いこなす、彼の作品には際立った個人様式と洗練を感じます。近藤譲さんと傾向は全く異なりますが、塩見允枝子さんの作品の、あのエレガントな佇まいも彼女独特のとても魅力あるものだと思っています。2001年からは日本人以外の作曲家の曲も弾いている、と書きましたが、2001年にはモートン・フェルドマンの「ショスロスの春」と、ルチアーノ・ベリオの新旧のピアノ曲を弾きました。2002年はモダニズム色濃厚なルイジ・ダラピッコラの曲と、リュク・フェラーリの曲を弾きます。何故、これらの曲を選び、弾く(弾いた)のか、は今まで書いたことと同様な意味合いにおいて、です。 さて、私がはじめてリュク・フェラーリの曲をライヴで聴いたのは、後にメンバーになる「ムジカ・プラクティカ・アンサンブル」公演での「トートロゴス第3番」だったと思います(1980年代)。楽譜には「さあ、みんなで同語反復しましょう」と書いてあったように思います。ほんとうにそんなふうな、面白い曲です。(反復といってもライヒやライリーのものとは性質が異なります。フェラーリ自身が、他の曲について記している箇所で、repetitionsというよりはむしろcyclesだと言っています。)「トートロゴス第3番」以来、リュク・フェラーリは私にとって気になる作曲家でした。長い間、彼の曲を演奏する機会はありませんでしたが、そうこうしているうちにパリに住んでいる椎名亮輔さんと知り合いになり、意気投合して、私がフランスに行ったときなどに会っていろいろ日仏の作曲家や作品について意見交換をしているうちにリュク・フェラーリの存在が浮上してきたわけです。(現代音楽関係でよく知られているところでは、椎名さんは、マイケル・ナイマンの「実験音楽」を日本語に訳した音楽学者です。勿論、他にも多くの素晴らしい仕事をされています。)彼はパリでリュク・フェラーリと親交があり、リアルタイムでフェラーリの仕事を見て(聴いて)こられました。そして私は、昨年に引き続き、今年も青山カワイでリサイタルをさせてもらえることになりました。この企画では「SATOKO PLAYS JAPAN」とは異なる仕組みのコンサートをやりたいと思っているので、(昨年は同世代のイタリアの作曲家によるピアノ曲を中心にプログラムを組みました。)「これはもう、リュク・フェラーリだ」、と思い、更に「椎名さんにパリから来てもらって一緒にやりたいな」、と思っていたら、彼は帰国することになり、超ラッキー。・・・実現までにはこのような経緯がありました。 リュク・フェラーリは長く音楽活動(音楽に限らず?)を続けていますので、当然、多くの作品があります。彼は自分が仕事をする環境を自ら変えていきますし、それに伴い、彼の音楽の外見は変化してきているように見えますが、本質的には同じものが存在していることを強く感じます。私は、作品でも演奏でも、徹底したものしか残らないと信じているのです。 |