フェラーリの「逸話的音楽」


鈴木治行(作曲家)


 ュック・フェラーリの音楽は抽象と具体の境目を行き来する。古来より、音楽は抽象的な芸術であると言われ続けてきたが、1949年に人が初めてテープの録音によって現実の音を音楽の素材として手の内にして以来、その抽象性を巡っての音楽の特権も次第に揺らいできた。その、現実音を素材としてテープに定着する音楽(ミュージック・コンクレート)に早い時期から関わってきたフェラーリが、音の具体性と抽象性の境目に可能性を見出すようになったのは当然ともいえる。
 かし、どういう訳か、具体音を手中にした作曲家達の多くは音の固有の意味性に注目するよりはその純粋な音響の面白さの方にひかれたようで、例えばユピック・システムを開発する以前のクセナキスのテープ音楽では、たとえ炭火のはぜる音やラオスの笙の音を素材に用いていても、それらの音響はクセナキスの意のままに捩じ曲げられ幾層にも重ね合わされ、最終的には音響それ自体の物質的強度からある種強烈な表現性を獲得していた。ここにおいては、具体音はクセナキスの頭の中のイマジネーションを具現化するための素材に過ぎず、その音に元々付随していた意味性は排除されている。一方フェラーリだが、彼は音というものがそれの属している文脈の中で初めて意味を獲得するというそのありように極めて意識的だ。鳥の囀りや船のエンジン音がそれだけで独立してあるのではない。その音響の属している「場」(とは極めて社会的な存在であるはずだが)の中でこそ、音は固有の意味性を開示する。だから、彼は鳥の囀りや船のエンジン音をそれだけで切り取ってくることはせず、その「場」もろとも持ってくるのだ。ちなみに、サンプリングとは「場」を徹底的に切り離してしまうことの暴力性そのものなのであって、その意味でフェラーリの行き方の対極にあるといえる。フェラーリの数多いテープ作品の中には、現実音を録音してきただけで殆ど加工していない、というものもある。「プレスク・リヤン」のシリーズなどがそれに当たるが、録音技術が誕生して以来、音楽の分野でこういう方向が全く発展しなかったのは実に不思議だ。録ってきた音をそのまま聞かせるのは作曲家の怠慢である、というような、写真が誕生した時にも言われたような議論が音楽においてはいまだに根を張っているのであろうか。写真家が現実世界を撮ってそのままそれを提示しても、そこに表現者の創意がない、などと言う者は今や死滅しているはずだが。「プレスク・リヤン1」を聴くと、途中でしばらく出てくる蒸気船らしきエンジン音や、最後の方で次第に高まってくる蝉の声の反復が、フェラーリの作品でテープ音楽、楽器を問わずよく出てくる唐突な反復パターンそのものなのが面白い。「プレスク・リヤン2」は夜のしじまの音風景を綴った美しい作品だが、そう思って聴いていると、終わり近くになっていきなり雷鳴が轟くのをきっかけに、雷鳴を思わせなくもない突き刺すような鋭い−−にしてはいささか間の抜けた−−電子音が間欠的に乱入してきて夜のしじまどころではなくなって終わる。ここに、忘れていた作家の存在の露呈を見ることもできようが、それよりも押さえておくべきは、美学的音と意味的音の二つの要素の釣り合いによって音楽を作る、というフェラーリの言う「逸話的音楽」という考え方だ。意味と意味を衝突させてそれをずらす、という古典的なシュールレアリスムの行き方に対して、フェラーリは電子音という「抽象的」な素材を具体音にぶつけることによって、意味と無意味の衝突、という未知の領域を発見してゆく。勿論、電子音には電子音という意味があり、例えばピアノとテープのための「小品集」では、シンセサイザーのチープな音色を時代性の含意として用いたりはしているのだが、そこでいう意味性とはまたそれは位相の異なった話だ。その意味と無意味の衝突現場に更にしばしば言語が介入してくることによって、両者の対位法的せめぎ合いは更に多声化されてゆく。彼はかつてTV用のドキュメンタリー・フィルムの制作に関わっていたが、映像の意味性と音の意味性、無意味性との遭遇を組織化する体験がこのような方向を導き出したのかもしれない。ラジオ・ドラマとして作られた「砕氷船」においては、スタッフを実際に砕氷船に乗り込ませ現実音を録らせている間、自分はパリに残って想像上の砕氷船のためのオーケストラ曲を作曲していたという。そして、一行が帰ってきてから録ってきた現実音とオーケストラの音楽とを再構成して作り上げた。従って、現実音を聞かず、砕氷船の映像も見ずに作られたオーケストラ曲は全くいわゆる伴奏音楽にはなっていないし、いくらフェラーリが砕氷船のイメージを思い浮かべて作曲したとしても、できあがったオーケストラ曲は純粋に「無意味」な抽象音楽であり、それと現実音と朗読との融合体はいつものフェラーリの「逸話的音楽」になっていたのだった。

「映画芸術1997年夏号No.383」より転載・一部改変



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