賢治祭
詳細情報
作曲者 山本裕之
演奏時間(分) 8 min.
楽器編成 Vocal-ens.
備考 ヴォクスマーナ委嘱/テキスト:俵万智
作品ノート テキストの『賢治祭』は、俵万智の歌集『かぜのてのひら』に収められている11の短歌である。短歌は所収順に連続して用いられている。

たまたま4月締め切りでほとんど似たようなヴォーカル・アンサンブル編成の依頼が二件あり、当夜がその一曲、もう一方は8月8日に四谷区民ホールにて違う団体によって初演される。今まで棚上げにしてきた作曲における言葉の問題を考えるよい機会と思い、この二曲は正反対のアイデアで書いた。すなわちテキストが音楽の中で意味をもって聴こえることと聴こえないこと。俵万智の短歌は耳で聴いてとてもわかりやすく、時として生々しくさえもあるので、いうまでもなく前者にふさわしい。ちなみに8月初演の後者は李白による漢詩の読み下し文を用いている。

テキストの内容が聴いて把握できることとできないことが、曲全体の聴き方にどのような影響を与えるのか、という興味で書き始めたが、実はそれ以前に作曲の方法論自体に関わる問題であることが分かった。つまりテキスト以外の器楽的要素(ヴォーカルも含む)は、テキストの存在そのものによって聴こえ方が影響されるというよりは、元々テキスト自体の内容が − 意味として以前に音として − 把握されやすいか否かで、既にその書法に影響を与えてしまうのだ。そこにはもちろん、「テキストの内容を聴かせたいかどうか」という作曲者の意志も重要だが、テキストの性質 − 何を言っているのかいやでも判ってしまう現代語の短歌か、はたまた日本語なのに何を言っているのか判別しにくい漢詩の読み下し文か − の段階でその曲の方向性は概ね決まってしまう、といっても過言ではないだろう。繰り返すが、ここではテキストの内容が重要なのではなく、内容が把握しやすいかどうかが問題なのである。

今日は「判りやすい」方なので、あえて元の短歌は掲載しない。『賢治祭』は私の住む岩手県にゆかりのテキストではあるが、いうまでもなく俵万智の短歌の中でも特に音から把握しやすいもの、というのがこのテキストを選んだ大きな理由である。
(初演時のプログラムから転載)
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